持明院統とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > デジタル大辞泉 > 持明院統の意味・解説 

じみょういん‐とう〔ヂミヤウヰン‐〕【持明院統】

読み方:じみょういんとう

鎌倉後期から南北朝時代にかけて、大覚寺統皇位争った後深草天皇系統南北朝時代北朝として南朝対立したが、元中9=明徳3年(1392)南朝合わせ以後皇位継いだ後深草天皇譲位後京都持明院御所としたのでこの名がある。→大覚寺統


持明院統

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/17 04:58 UTC 版)

持明院統(じみょういんとう)とは、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけて皇位に即いた日本の皇室の系統で、第89代後深草天皇を始祖とする。のちの北朝を経て、現在の皇室に連なる。


注釈

  1. ^ 当時は三種の神器は後醍醐天皇が携帯して逃亡していたため、源平合戦時の後鳥羽天皇践祚を先例とした。

出典

  1. ^ 基頼の孫持明院基家の娘陳子守貞親王の妃になり、守貞親王はこの邸宅・持明院殿に居住した。承久の乱で幕府により三上皇(後鳥羽上皇土御門上皇順徳上皇)が配流、そして仲恭天皇が廃位になった為、守貞親王の子である茂仁親王(後堀河天皇)が天皇となった(守貞親王には太上天皇の尊号が贈られ、後高倉院と称した)。そして、後堀河天皇は譲位後、持明院殿内を仙洞御所として居住した。後堀河天皇の系統が途絶えると、その皇女室町院の遺領(室町院領)とともに、伏見上皇がこの邸宅を継承した。そして、伏見院の子孫も持明院殿を仙洞にするようになる。
  2. ^ 河内・新田 2018, p. 160.
  3. ^ 野口・長村・坂口 2022, p. 177.
  4. ^ 河内・新田 2018, p. 166.
  5. ^ 秦野 2020, p. 34.
  6. ^ 深津 2014, p. 6.
  7. ^ 飯倉 2015, p. 13.
  8. ^ 深津 2014, p. 34.
  9. ^ 野口・長村・坂口 2022, p. 212.
  10. ^ 秦野 2020, p. 36.
  11. ^ 秦野 2020, pp. 39–40.
  12. ^ 秦野 2020, pp. 56–57.
  13. ^ 秦野 2020, pp. 58–64.
  14. ^ 秦野 2020, pp. 68–69.
  15. ^ 深津 2014, pp. 219.
  16. ^ 秦野 2020, p. 72.
  17. ^ 秦野 2020, pp. 79–83.
  18. ^ 秦野 2020, p. 88.
  19. ^ 秦野 2020, pp. 94–95.
  20. ^ 秦野 2020, pp. 147–148.
  21. ^ a b 秦野 2020, p. 222.
  22. ^ 秦野 2020, p. 176.
  23. ^ 秦野 2020, p. 221.
  24. ^ 田村 2018, p. 4(1672).
  25. ^ 田村 2018, p. 15(1683).
  26. ^ a b 深津 2014, p. 39.
  27. ^ 池和田有紀「崇光天皇」『室町・戦国天皇列伝 後醍醐天皇から後陽成天皇まで(久水俊和・石原比伊呂編)』、戎光祥出版、2020年、pp.162-164。
  28. ^ a b c d 三木太郎「『椿葉記』より見たる持明院統分裂の原因 ‐長講堂領以下の所領を中心として‐」1953。


「持明院統」の続きの解説一覧

持明院統

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/23 18:59 UTC 版)

五辻宮」の記事における「持明院統」の解説

鎌倉幕府介入により二代五辻宮となった深草宮は、元徳元年1329年9月には、北条守時によって五辻の館と備前国草部郷の領地安堵されたが、その後、五辻の館のみ元の所有者であった守良親王戻された。建武の新政失敗に終わると、足利尊氏により、建武3年1336年8月に再び所領安堵された。 貞治6年1367年)の頃には久明親王孫・祥益が「五辻親王家」と呼ばれている(『天竜寺重書目録』)が、深草宮や祥益が親王宣下受けた記録残っていない。その後暫時衰微したらしい。

※この「持明院統」の解説は、「五辻宮」の解説の一部です。
「持明院統」を含む「五辻宮」の記事については、「五辻宮」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「持明院統」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「持明院統」の関連用語

1
100% |||||

2
両統迭立 デジタル大辞泉
92% |||||

3
大覚寺統 デジタル大辞泉
92% |||||



6
亀山天皇 デジタル大辞泉
72% |||||

7
京極為兼 デジタル大辞泉
72% |||||

8
伏見天皇 デジタル大辞泉
72% |||||

9
後二条天皇 デジタル大辞泉
72% |||||

10
花園天皇 デジタル大辞泉
72% |||||

持明院統のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



持明院統のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの持明院統 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの五辻宮 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS