御肇国天皇とは? わかりやすく解説

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はつくにしらす‐すめらみこと【始馭天下之天皇/御肇国天皇】

読み方:はつくにしらすすめらみこと

最初に国土統治した天皇の意》第1代の神武天皇(始馭天下之天皇)、または第10代崇神天皇(御肇国天皇)のこと。


崇神天皇

(御肇国天皇 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/05 08:30 UTC 版)

崇神天皇(すじんてんのう、旧字体崇神󠄀天皇、開化天皇9年または10年[注 1] - 崇神天皇68年12月5日[1])は、日本の第10代天皇(在位:崇神天皇元年1月13日 - 同68年12月5日)。『日本書紀』での名は、御間城入彦五十瓊殖天皇(みまきいりびこいにえのすめらみこと)。祭祀、軍事、内政においてヤマト王権国家の基盤を整えたとされる御肇国天皇はつくにしらすすめらみこと。実在した可能性のある最初の天皇[2]とする説があり、考古学上実在したとすれば治世時期は3世紀後半から4世紀前半と推定されるが、近年発掘の進む纏向遺跡との関係からその存在に注目が高まっている天皇の一人である。




「崇神天皇」の続きの解説一覧

御肇国天皇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 22:55 UTC 版)

崇神天皇」の記事における「御肇国天皇」の解説

即位12年戸口調査して初め課役課した。この偉業をもって御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)と称えられている。『古事記』には天下統一して平和で人民が豊かで幸せに暮らすことが出来るようになり、その御世称えて初めて国を治めた真木天皇所知初国之御真木天皇」と謂う、とある。 即位17年献上品運び込むための船を作らせた。 即位48年豊城命と活目尊を呼んで夢占い行い弟の活目尊を皇太子とした。兄の豊城命には東国治めさせた。 即位62年灌漑事業行って依網池(よさみのいけ、大阪市住吉区)や軽(奈良県高市郡)の酒折(さかをり)池などを開き大い農業の便を図った伝えられる即位65年任那使者として蘇那曷叱知(そなかしち)を遣わしてきた。素戔嗚尊新羅に天降ったという異伝除けば『日本書紀』において初めての朝鮮半島関連記録である。 即位68年崩御蘇那曷叱知活目尊(垂仁天皇)の即位2年任那帰国したが、その際天皇からの下賜品を新羅奪われてしまった。『日本書紀』における任那新羅抗争ここから始まる。

※この「御肇国天皇」の解説は、「崇神天皇」の解説の一部です。
「御肇国天皇」を含む「崇神天皇」の記事については、「崇神天皇」の概要を参照ください。

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