はつくにしらす‐すめらみこと【始馭天下之天皇/御肇国天皇】
崇神天皇
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崇神天皇(すじんてんのう、旧字体:崇神󠄀天皇、開化天皇9年または10年[注 1] - 崇神天皇68年12月5日[1])は、日本の第10代天皇(在位:崇神天皇元年1月13日 - 同68年12月5日)。『日本書紀』での名は、御間城入彦五十瓊殖天皇(みまきいりびこいにえのすめらみこと)。祭祀、軍事、内政においてヤマト王権国家の基盤を整えたとされる
- 1 崇神天皇とは
- 2 崇神天皇の概要
御肇国天皇
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即位12年、戸口を調査して初めて課役を課した。この偉業をもって御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)と称えられている。『古事記』には天下を統一して平和で人民が豊かで幸せに暮らすことが出来るようになり、その御世を称えて初めて国を治めた御真木天皇「所知初国之御真木天皇」と謂う、とある。 即位17年、献上品を運び込むための船を作らせた。 即位48年、豊城命と活目尊を呼んで夢占いを行い弟の活目尊を皇太子とした。兄の豊城命には東国を治めさせた。 即位62年、灌漑事業を行って依網池(よさみのいけ、大阪市住吉区)や軽(奈良県高市郡)の酒折(さかをり)池などを開き大いに農業の便を図ったと伝えられる。 即位65年、任那が使者として蘇那曷叱知(そなかしち)を遣わしてきた。素戔嗚尊が新羅に天降ったという異伝を除けば『日本書紀』において初めての朝鮮半島関連の記録である。 即位68年、崩御。蘇那曷叱知は活目尊(垂仁天皇)の即位2年に任那へ帰国したが、その際に天皇からの下賜品を新羅に奪われてしまった。『日本書紀』における任那と新羅の抗争はここから始まる。
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