待遇・教育
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/02 03:35 UTC 版)
兵補の法的身分は、日本軍の「軍属に準じる」身分であった(兵補規程6条)。戦闘任務に参加するにも関わらず軍人ではなく準軍属の身分としたのは、ハーグ陸戦条約が捕虜の作戦関係労務への使用禁止(附属書6条)や占領地住民への忠誠宣誓強制の禁止(附属書45条)を規定していることを踏まえ、同条約に違反した戦争犯罪を避ける目的であったと見られる。日本軍人の兵から下士官に準じて、二等兵補(二等兵相当)から陸軍では一等班長(曹長相当)・海軍では上等兵補長(上等兵曹相当)まで7段階の階級が設けられており、功績と在営年数により昇進する規定だった。 兵補の生活待遇は、軍属であることもあって日本兵に比べると若干劣ったが、衣食住はそれなりに魅力のあるものであった。給与は二等兵補で最低月額30ギルダーと規定されたが、元兵補の証言によると実際の支給額は採用直後の独身者の場合で18-20ギルダーしかなかった。給与の1/3は郷里渡しとされ手元に残らず、別に1/3は軍事郵便貯金として強制貯金されていた。また、軍人勅諭や戦陣訓の暗唱、軍事訓練は日本兵と同等に行われ、イスラム教徒の礼拝など宗教面での配慮が欠けたり、日本兵から暴力が振るわれたりすることは、兵補の不満を高めた。 教育期間は原則として6カ月とされた(兵補規程4条)。一般募集の初期に採用された兵補は規定通りの教育期間であったが、1943年後期以降には2-4カ月に短縮されていた。初期兵補となった元植民地兵も扱いが異なり、早期に捕虜から解放されていたジャワ人の志願者の場合は1-4カ月の短縮教育で済まされ、他方、オランダへの忠誠心の厚いアンボン人・メナド人は捕虜収容所から解放されないまま強制的に兵補として実戦部隊に投入されたため、兵補教育も受けなかった。陸軍兵補の場合、元オランダ植民地軍の施設などを利用して各地に開設された兵補学校で、日本の初年兵教育に準じた集団生活による軍事教育が実施された。内容は基本教練や日本語教育、鹵獲兵器を用いた戦闘訓練などであったが、後期には兵器の不足から戦闘訓練は部隊配属後とされる例もあった。マゲラン(en)とチマヒ(en)の練成隊では幹部要員の教育が実施された。海軍兵補の場合、各地の特別根拠地隊ごとに採用され、特別根拠地隊・警備隊所在地で教育を行った。
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