平城宮跡大膳職推定地出土木簡とは? わかりやすく解説

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平城宮跡大膳職推定地出土木簡

主名称: 平城宮跡大膳職推定地出土木簡
指定番号 186
枝番 00
指定年月日 2003.05.29(平成15.05.29)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 古文書
ト書
員数 39
時代区分 奈良
年代
検索年代
解説文:  本木簡は、平城宮跡発掘最初に出土したいわゆる一号木簡」を含む大膳職推定地出土木簡三九点である。その内訳は、昭和三十五年第五次平城宮跡大膳職推定地発掘土坑SK二一九号)出土三七点と、同地域内昭和三十七年第七発掘井戸SE三一一号)から出土した二点からなる
 木簡年代は、「甲斐国山梨郡雑役胡桃子一古」(表)、「天平宝字六年十月」(裏)と、「甲斐山梨郡雑役胡桃子一古」(表)、「天平宝字六年十月」(裏)の二点に天平宝字六年(七六二)の年紀があり、奈良時代後期認められる一群である。
 注目されるものに、一番の番号付けられた「一号木簡」とか「寺請木簡」と通称されているものがある。表に「寺請 小豆一斗 醤一十(斗カ)五升 大床所 酢 末醤等」、裏に「右四種竹波命婦御所 三月六日」とあり、某寺が竹波命婦指示によって御所の用料として小豆、醤、未醤油、酢の支給請求したのである。「竹波命婦」は、『続日本紀』神護景雲二年(七六八)六月戊寅六日)条に、「掌膳常陸国筑波采女従五位下勲五等壬生宿禰小家主」とみえ、常陸国筑波郡出身采女であり、孝謙天皇称徳天皇)の食膳をつかさどっていた側近の女であった『続日本紀』によると、孝謙上皇天平宝字六年五月に近江国保良宮より平城京帰られて、宮寺とも呼ばれた法華寺御在所とし、天平宝字八年十月に再び即位された。とするならば、木簡の某寺は法華寺となり、日付天平宝字七年八年いずれか三月六日特定できる。また「大床所」とは、清涼殿昼御座御膳のことで、「醤油、酢」に関する天皇食事用のための木簡であることが判明し『続日本紀』を補う史料として平城宮日常生活詳しく伝えている。
 他に、「主殿寮 請火事」「請」「常食朝夕」などの日用家事に関する記事もみえる。また「阿留止」などと書かれた万葉仮名記されるほか、「馬」の習字など、国語学上からみても貴重な資料散見する
 平城宮跡最初に出土した第一木簡を含む本木簡は、記念碑的な性格と、律令制下日常的に用いられ基本史料として、価値が高い。本木簡が木簡指定最初である。
重要文化財のほかの用語一覧
古文書:  師守記  常暁請来目録  平城宮跡内裏北外郭官衙出土木簡  平城宮跡大膳職推定地出土木簡  平宗盛筆消息  平行政願文  広福寺伝衣付嘱状



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