平城宮東院庭園
名称: | 平城宮東院庭園 |
ふりがな: | へいじょうきゅうとういんていえん |
種別: | 名勝 |
種別2: | |
都道府県: | 奈良県 |
市区町村: | 奈良市法華寺町 |
管理団体: | |
指定年月日: | 2009.07.23(平成21.07.23) |
指定基準: | 名1 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | |
解説文: | 平城宮の東張出部(ひがしはりだしぶ)は『続日本紀(しょくにほんぎ)』に登場する「東宮(とうぐう)」又は「東院(とういん)」に比定され、その東南隅部において発見・修復された庭園は「平城宮東院庭園」として広く知られている。庭園は北から南に向かう緩傾斜面の縁辺部に位置し、東と南を平城宮外郭の築地(ついじ)大垣(おおがき)に、北と西を掘立柱塀(ほったてばしらべい)にそれぞれ囲まれている。発掘調査により、池は8世紀を通じて存続するが、中頃に大きく造り替えられていることが判明している。その変遷の過程からは、7世紀の庭園の池に用いられた直線や垂直状の石積を持つ護岸手法から、優美な曲線やなだらかな洲(す)浜(はま)状(じょう)の汀線(ていせん)を持つ護岸手法へと、庭園の意匠・工法が大きく変化した経過がうかがえる。それは、中国及び朝鮮半島から伝わったと考えられる造庭技法を消化し、9世紀以降の日本庭園に見る独自の意匠・工法へと転化を遂げようとする過渡的な過程を表すものである。 このように、8世紀における日本古来の庭園文化と大陸伝来の庭園文化との融合の過程及びその後の発展の過程を知る上で極めて高い造園史上の価値を持つ事例であるのみならず、その独特の意匠・構造・技法が精緻な修復により見事に再生された庭園として芸術上・観賞上の価値は高い。 |
平城宮
(平城宮東院庭園 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/30 17:30 UTC 版)
平城宮(へいじょうきゅう、へいぜいきゅう)は、平城京の大内裏。1998年(平成10年)12月、「古都奈良の文化財」として東大寺などと共に世界遺産に登録された(考古遺跡としては日本初)。
- ^ 元正天皇在位期・恭仁京からの還都直後・孝謙天皇即位時・淳仁天皇在位期・光仁天皇即位時に改築が実施されたことが知られている[1]。
- ^ 国有化の方針を打ち出した1962 (昭和37) 年の翌1963年より、民有地の買い上げを開始。1973年より奈良県は国の受託事業として県債を発行、特別史跡指定地内の土地を積極的に買い上げた。その利息・事務費は毎年度、一定額ずつ国が買戻してきた[14]。
- ^ 公園にするために特別史跡の現状変更を伴うことから、文化財保護法第125条または第168条に従って文化庁長官の同意を得て実施した。あるいは文化財保護法第113条に基づく特別史跡の指定管理者は奈良県、国有地の管理は奈良文化財研究所(1965-2000 (昭和40-平成12) 年度)から所有者である文化庁直轄(2001年度より文化財部記念物課)に移行。
- ^ 橋本、2011年、P27・P207-224・P233-270。
- ^ 橋本、2011年、P81-84。
- ^ “国指定 史跡・名勝・天然記念物一覧”. 奈良市. 2017年10月13日閲覧。
- ^ 橋本、2011年、P84-93。
- ^ “京都、平安宮豊楽殿の規模確定/平城宮大極殿を移築か”. 四国新聞. (2015年12月1日). オリジナルの2015年12月3日時点におけるアーカイブ。 2017年12月12日閲覧。
- ^ 渡辺晃宏、「001「平城宮跡出土木簡」の国宝指定答申について」『奈文研ニュース』 No.65 p.1, 国立文化財機構奈良文化財研究所
- ^ 平成29年9月15日文部科学省告示第115号。
- ^ 国宝・重要文化財の指定について(文化庁サイト)
- ^ a b c d 平城宮跡 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ a b 平城宮東院庭園 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 奈良山瓦窯跡 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ (PDF) 特別史跡平城宮跡保存整備基本構想. 文化庁. (1978-05-26) 2017年12月9日閲覧。.
- ^ 産経ニュース(リンク切れ)
- ^ a b 特別史跡平城宮跡保存整備基本構想推進計画. 文化庁. (2008-05-13). p. 5 2017年12月9日閲覧。.
- ^ a b 文化庁 2008, pp. 6–8.
- ^ “2010年4月23日 平城宮跡 第一次大極殿完成記念式典”. 奈良県知事室 (2010年4月23日). 2017年12月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月9日閲覧。
- ^ “奈良県、近鉄線移設で調査開始 平城宮跡横断の区間”. 日本経済新聞. (2017年1月19日). オリジナルの2017年1月19日時点におけるアーカイブ。 2017年12月9日閲覧。
- ^ “駅中心のまちづくり目指す連携協定”. 奈良テレビ放送. (2017年4月7日). オリジナルの2017年12月9日時点におけるアーカイブ。 2017年12月9日閲覧。
- ^ “平城宮跡の近鉄線 移設で協定”. NHKニュース. オリジナルの2017年4月9日時点におけるアーカイブ。 2017年12月9日閲覧。
- ^ 読売新聞大阪本社版2000年3月3日付(リンク切れ)
- ^ “積水化学工業株式会社奈良事業所の移転先の決定について” (PDF). 奈良県産業・雇用振興部企業立地推進課 (2012年3月14日). 2017年12月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月9日閲覧。
- ^ “平成24年3月14日(水)定例記者会見:積水化学工業(株)奈良事業所の県内移転先の決定について”. 奈良県知事室. (2012年3月14日) 2017年12月9日閲覧。
- ^ 文化庁 2008, pp. 5–10.
- ^ 文化庁 2008, pp. 11–12.
- ^ 文化庁 2008, pp. i–iii.
- ^ 文化庁 2008, p. 11.
- ^ a b c d e f g h i j k l m “平城宮跡歴史公園、平成 30 年 3 月 24 日オープン! ー1300年の時を超えて“朱雀門ひろば”がよみがえりますー” (PDF). 国土交通省近畿地方整備局・国営飛鳥歴史公園事務所 (2017年9月6日). 2017年12月12日閲覧。
- ^ 国営公園区域 (約122ha)のうち、今回開園区域 (31.8ha)。県営公園区域 (約10ha)のうち、今回開園区域 (3.1ha)[27]。
- ^ a b c d e f 文化庁 2008, pp. 21–22.
- ^ “開園箇所が広がりました。大極門(南門)の完成。”. 平城宮跡歴史公園. 2022年3月25日閲覧。
- ^ “平城京歴史館の閉館のお知らせ”. 奈良県. 2016年12月23日閲覧。
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