岸和田
岸和田
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/02 08:46 UTC 版)
現在、最も盛大に地車祭りが開催されているのが岸和田である。岸和田市では受け継がれてきた伝統のだんじり祭りが次第にマスコミ等取りあげられるようになり、今では全国的知名度となっている。岸和田市の公式な広報では、岸和田のだんじり祭りの起源を元禄16年(1703年)岸和田藩主岡部長泰が京都伏見稲荷を城内三の丸に勧請し、五穀豊穣を祈願した稲荷祭りにあるとしている。だんじり[だんぢり]の曳行は町衆による神への奉納であり、宮や城が執り行う公式神事に準ずる祭礼である。当初は祭礼に俄かや狂言などの芸事を演じていたようである。その後、城下の町民が祭礼時に登城を許され、長持ちに車輪を付けた台車に鳴り物を乗せて神楽獅子を舞ったり、奉納相撲が行われたという。やがて小さな軽い引檀尻をこしらえ、その上に人物や風景などを模して作った飾り物を載せて曳行したと伝わる。さらに時が経ち天明5年(1785年)、岸和田城下北町の油屋治兵衛という商人が、和泉郡宇多大津村(現・泉大津市)より大型地車を購入したという記録があるが、この地車は城門を潜ることが出来なかったため、岸和田で改良された地車が製作され独自の地車の様式が発展していく。そうして現在の岸和田型の地車が完成された。なお、岸和田のだんじりの特徴である高速で走行し、停止せずに辻をいっきに回りきる「やり回し」は昭和の時代から行われるようになった。 郊外の集落では過疎や少子化の影響で地車の運行が途絶えた所も少なくないが、岸和田では旧城下町のみならず、周辺の新興住宅地も地車の新調が盛んである。新調時にそれまで保有していた地車が転売されるため、岸和田型の下地車の分布が広くなってきている。
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「岸和田」の例文・使い方・用例・文例
- 岸和田市という市
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