導入に至るまでの経緯
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「監査に関する品質管理基準」の記事における「導入に至るまでの経緯」の解説
2005年に品質管理基準が導入された背景には、国際的な監査の品質管理の基準に対応する必要があったこと、および日本国内における監査の非違事例が続発したこと、という二つの事情があった。 アメリカの財務諸表監査においては、1970年代以来、長年にわたって監査業務における品質管理確保の取り組みがあった。国際監査基準のなかにも、もともと品質管理基準が規定されていたが、監査の品質管理が重要視されるようになるとともに、独立してより詳細な国際品質管理基準が設定されるようになった。 しかし、日本にはこうした監査業務に対する品質管理の制度は長年存在していず、監査基準上も品質管理に関する規定はなかった。そこで、国際品質管理基準第1号(ISQC1)と国際監査基準220(ISA220)の内容を一つにまとめて取り入れ、そこに共同監査などについての日本独自の規定を追加することで、新たに品質管理基準を設定したのである。 とはいえ、品質管理基準導入以前でも、1997年になると、日本公認会計士協会が自主的に発表した監査基準委員会報告書第12号「監査の品質管理」 において、監査の品質管理に関して一定の定めを置いていた。また、日本公認会計士協会が監査事務所に対して自主的に「品質管理レビュー」を実施するようにもなった。1999年に導入されたこの品質管理レビューは、2003年改正公認会計士法第39条の9の2において法制化もされている。同時に、品質管理レビューに対して、公認会計士・監査審査会がモニタリングを行うこととなった。 ところが、2004年末から2005年初頭において、日本において監査の非違事例が次々と発覚し、財務諸表監査制度に対する信頼が揺らぐ状況が生じた。このことが、金融庁の諮問機関である企業会計審議会のもとに、監査の基準として品質管理基準が導入されることとなるもう一つのきっかけとなった。 監査論学者の吉見宏は、品質管理基準を設定した企業会計審議会第1回監査部会の審議内容を分析し、具体的には学校法人東北文化学園大学と足利銀行における不正が、品質管理基準の導入の契機になったと指摘している。 前者は、学校法人が文部省からの私学助成金を手に入れるために、粉飾経理によって数十億円の負債を隠蔽していた事例である。この東北文化学園大学では、大手監査法人のセンチュリー監査法人(現在の新日本有限責任監査法人)が学校法人監査を行っていたにもかかわらず、虚偽表示を見逃して金融庁から処分を受ける事態となった。 後者は、巨額の不良債権を抱えた足利銀行において、1208億円の繰延税金資産の計上が認められず、債務超過に陥り、経営破綻・国有化に至った事例である。この問題は、従来、繰延税金資産の計上を認めてきた会計監査人の中央青山監査法人が、金融庁の検査結果を受けて、2003年9月の中間決算の監査で突如として繰延税金資産計上を否定したことに起因している。中央青山監査法人は、2001年3月期において繰延税金資産の過大計上などによる粉飾決算を見逃したとして、足利銀行から訴訟を起こされる事態となった。 両事例ではいずれも、大手監査法人の地方事務所が監査を担当しており、大手監査法人といえども特に地方事務所では十分な品質の監査が行われていないことが明るみに出ることとなった。そして、全国的な監査の品質の水準の維持のために、品質管理基準の設定が促されることとなったとと考えられるという。 以上のような事情のもと、企業会計審議会は、2005年1月の総会での決定に基づき、同年3月から監査部会において品質管理基準の設定についての審議を開始している。そして、同年7月に公開草案を公表し、審議の参考とすべく、各界の意見を求めた。その後、同年に発覚したカネボウ社の粉飾決算事例を踏まえて職業倫理・独立性に関する規定を強化する方向で内容を調整しつつ、同年10月に「監査に関する品質管理基準の設定に係る意見書」として正式に品質管理基準を公表した。品質管理基準は、2006年3月決算に係る財務諸表監査から早期適用、2007年3月決算決算に係る財務諸表監査から全面適用されることとなり、各監査事務所は品質管理基準への対応を迫られた。
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