奉安殿
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奉安殿(ほうあんでん)とは、戦前の日本において、天皇皇后(明治天皇と昭憲皇太后、大正天皇と貞明皇后、昭和天皇と香淳皇后)の写真(御真影)と教育勅語を納めていた建物である。
- ^ 小野雅章 戦後教育改革期の学校儀式と御真影再下付問題 : 1958年の学習指導要領改訂前後までの経緯を中心に 教育學雑誌 (46), 15-31, 2011-03-25
- ^ “資料 旧柏野尋常小学校奉安殿について” (PDF). 北海道別海町. 2019年7月14日閲覧。
- ^ “第76回県史だより 「消えた」奉安殿を追って”. 鳥取県 (2012年). 2019年7月14日閲覧。
- ^ “千葉)戦前の「奉安殿」現存、歴博で調査研究へ”. 朝日新聞デジタル (2016年12月8日). 2019年7月14日閲覧。
- ^ “奉安殿よみがえる 南砺・旧大鋸屋小体育館”. 北日本新聞社 (2019年7月13日). 2019年7月14日閲覧。
奉安殿
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「南洋庁ポナペ国民学校」の記事における「奉安殿」の解説
当時コロニアには照南神社、南洋庁ポナペ国民学校奉安殿、海軍参謀部営内神社の3つの神社があり、こちらは照南神社近くにあったポナペ国民学校の奉安殿である。 社殿はコンクリート造建物で高さは8 by 4フィート (2.4 m × 1.2 m)および10–12フィート (3.0–3.7 m)で地面から嵩上げされコンクリート製の小さな階段が設置されていて、屋根は勾配が急な切妻屋根である。ポンペイ州が大日本帝国によって南洋諸島として統治されていた1926年に建設された。神社の周辺には島に住む日本人専用の教育機関であるポナペ国民学校のグラウンドがあった。ポンペイ州において現存する大日本帝国統治時代の建築物の一つで人種的分離主義の象徴の一つでもある。 この地域がアメリカ合衆国が統治する太平洋諸島信託統治領だった頃の1976年にアメリカ合衆国国家歴史登録財に "Japanese Shrine" という名称で登録された。民家の敷地にあるため見学には注意が必要である。
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「奉安殿」の例文・使い方・用例・文例
- 奉安殿という建物
奉安殿と同じ種類の言葉
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