奇跡のロシア聖会
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ソビエト連邦の崩壊から1年後、趙はロシアを訪問。1992年6月16日から3日間の聖会を開催した。ロシア正教会の組織的妨害が懸念されたため、KGB秘密警察の警戒の元で行われた。 クレムリン宮殿は国会議事堂であり管理も厳しいところであるため、ロシア内務省の許可を受け、説教した。その中で趙は共産主義、無神論をはげしく非難した。これに危機感を持った保守主義者・共産主義者・ロシア正教会が「このような説教をさせてはいけない」と3日目にクレムリン宮殿の門を閉じてしまった。信教の自由といいつつも、まだまだ権力層の宗教弾圧が存在していたのである。雲の様な群集が宮殿横の公園に集まっていた。公園に行って説教するというと長老が必死で止めた。「今晩監獄に入ることになってしまいます」「よろこんで監獄に行く、証になるから」。ロシア関係者に長老たちと共に交渉したが「絶対許可しない、そのような説教をするとは思わなかった」。 公園に行くと3万名以上の群集が押し寄せていた。クレムリンは6千名収容だが、それをはるかに越える大群集である。6月で白夜。深夜0時でも昼のように明るい。趙は心が燃えて燃えてたまらない。神に祈り、「行く。今晩監獄に入る。」公園に行くと通訳者が逃げていていない。誰かいませんかというと、1人の女性が名乗り出た。「監獄に入っても大丈夫です」地下教会がすばやく発電機を用意する。マイクを木につける。説教を始めると群衆は泣いて、泣いて大声で叫び、ロシアの中心に声が響きわたり、電車も止まり、バスも止まり、歩く人々が止まってみんな公園のほうをみて交通渋滞になってしまった。 ロシアの警察は、大人数で趙の方へ走ってきた。「逮捕される。」覚悟を決め、勇気を出してさらに叫んで説教した。さらに1週間身辺警護をしていたKGB12名がやってきた。強面の彼らは1週間一度も趙が話しかけても話さない。KGBが警察に話して、警察は退いた。 KGBは流暢な英語で話しかけた。「先生。説教を続けなさい。私達は先生を警護するうち、皆クリスチャンになりました。」 この聖会は3日間で延べ4万人以上動員し、新たに1万3千名が信仰を持った。
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