大規模な旱魃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 07:44 UTC 版)
ヨーロッパ、1540年。ヨーロッパ旱魃 (1540年)。死者51万人。 カーボベルデ、18世紀–19世紀。死者数10万人以上。被災者多数がニューイングランドなどに移住、捕鯨業に従事。 インド、1900年。死者数25万人~325万人。旱魃による飢饉、病気。 ソビエト連邦ウクライナ、ヴォルガ地域、1921・1922年。25~500万人が旱魃による飢饉により死亡。 ソビエト連邦ウクライナ、クバン、北コーカサス、1932–1934年。ホロドモール。死者数:500万~1000万人。 中国北西部、1928–1930年。死者数300万人以上、飢餓。 中国四川省、1936年。500万人が死亡(飢餓)。3400万人が移住。 アメリカ合衆国大平原地帯、1930–1937年。3回の旱魃。 中国四川省、1941年。死者数250万人。 インド、1965–1967年。 イラン、1968–1972年。 サヘル(サハラ砂漠南縁地域)、1968–1974年。 エチオピア、1973・1974年。 ボリビア、1983年。 エチオピア、1984・1985年。 オーストラリア、2001年–進行中。Drought in Australia。淡水化プロジェクト(Desalination Projects)(パース・ゴールドコースト)。多くの地域で節水規制が設けられている。ブリスベンではダムを建設する予定。
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