大日本国一宮記とは? わかりやすく解説

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大日本国一宮記

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/28 17:44 UTC 版)

大日本国一宮記』(だいにほんこくいちのみやき)は、『群書類従』第二輯「神祇部」巻第二十三に編纂されている日本国内の一宮一覧で、室町時代の成立とされる。




  1. ^ 大林太良 『私の一宮巡詣記』 青土社 2001年9月 出版 では論社を整理するためと前置し、巡詣する一宮の条件として以下2つを上げている。①『大日本国一宮記』や橘三喜の『諸国一宮巡詣記』で一宮として取り上げられていること。②『延喜式神名帳』に記載されていること。
  2. ^ 橘三喜が全国の一宮を巡った際に携行していた『大日本国一宮記』の類本には、豊後国一宮の西寒多神社は別名を柞原八幡と名すと記されていたと思われる。橘三喜が記した『諸国一宮巡詣記』には柞原八幡宮に行って西寒多神社の所在を訊いたが「由原山へまかりて西寒多の社を尋けれ共、社人・社僧何れも知らさぬよしを告ぬ」との結果に終わったことが記録されている。
  3. ^ a b c d e 大塚統子 『「一宮記」の諸系統 -諸本の書誌的考察を中心に-』 より。同文は 一宮研究会編 『中世一宮制の歴史的展開 下:総合研究編』 ㈲岩田書院 2004年12月 に収録。
  4. ^ 大塚統子 『「一宮記」の諸系統 -諸本の書誌的考察を中心に-』 によれば、神宮文庫にある『大日本国一宮記』では【 伊射波神社 真清田大明神也、大己貴命 志摩答志郡 】、【 大神社 大己貴命也 尾張国中嶋郡 】と記載されていた。
  5. ^ 卜部氏宿禰を改めて朝臣となったのが応安8年(南朝の元号では天授元年、1375年)2月24日であることから、宿禰奥書はそれ以前のものとなる。
  6. ^ いずれも神宮文庫本。
  7. ^ 陸奥国一宮は鹽竈大明神から都都古和気社へ、豊後国は柞原大菩薩から西寒多神社へ変更されている。
  8. ^ 大塚統子 『「一宮記」の諸系統 -諸本の書誌的考察を中心に-』 によれば、近世期における神社研究書物を見ると、徳川義直の『神祇法典』正保3年(1646年)、白井宗因の『神社便覧』寛文4年(1664年)および『神社啓蒙』寛文7年(1667年)、坂内直頼の『本朝諸社一覧』貞享2年(1685年)、尾張津島神職真野時綱の『古今神学類編』元禄9年(1696年)、その他書物で引用している『一宮記』の記述内容が『大日本国一宮記』にほぼ一致している、としている。
  9. ^ 橘三喜はその記録を『諸国一宮巡詣記』として記している。『諸国一宮巡詣記』は 佐伯有義 編 『神祇全書 第2輯』 皇典講究所 1907年2月 に収録。
  10. ^ 伴信友 『神社思考』 は、しばしば一宮研究書に引用される。『神社思考』は 佐伯有義 編 『神祇全書 第1輯』 皇典講究所 1906年10月 に収録。


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