坪内定鑑とは? わかりやすく解説

坪内定鑑

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/24 04:07 UTC 版)

坪内 定鑑(つぼうち さだかね、慶安2年(1649年) - 享保8年10月13日1723年11月13日))は、江戸時代中期の旗本江戸南町奉行中町奉行。官職は能登守但馬守。通称は源五郎、弥五郎。御先手鉄砲頭・坪内定次の次男で坪内定守の弟。養子に定富。

生涯

万治元年(1658年)、4代将軍徳川家綱に拝謁し、寛文7年(1667年)に小姓組に列する。翌寛文8年(1668年)、兄の定守が口論から同僚の水野正元を斬殺するという刃傷沙汰を起こして逐電したため、延宝元年(1673年)に父の家督を継承する。元禄10年(1697年)には300石を加増されて1,100石を知行することとなり、書院番士から使番に、ついで御手先筒頭、火付盗賊改方加役と累進し、宝永2年(1705年)、南町奉行に就任すると同寺に能登守に叙任され、同職を2年間勤仕したのち(1707年)に中町奉行に赴任、享保4年(1719年)まで勤め上げた。合計14年間江戸町奉行を務め、江戸の治安維持や事件の裁決を担当した。正徳元年(1711年)には功績を賞され熨斗縮、絹縮越後縮等を賜っている。

7代将軍・徳川家継の時代の正徳4年1月(1714年2月)に起こった江戸城大奥綱紀粛正事件である「江島生島事件」の糾明・裁定にも目付稲生正武大目付仙石久尚と共に手腕を発揮、絵島はじめ大奥の女中や事件に荷担した者達への尋問を迅速に施行し、紛糾する諸問題を処理したが、拙速を尊ぶあまり流人証文に記載する人物の名を間違えると失態を犯し、同年4月から将軍への拝謁を一ヵ月停止させられる処分を受けた。

享保4年(1719年)に町奉行の職を辞して寄合となり、享保8年(1723年)10月13日に75歳で死去した。法名の字は諱と同じ定鑑。その後は甥で養子の定富(兄定守の子)が継いだ。なお、中町奉行は定鑑の辞職と共に廃止されている。中町奉行を務めたのは、定鑑と丹羽長守の2名のみである。

人物

奉行としての仕事ぶりは地味ながらも堅実で、町奉行の務めを地道に励行していた。しかし、新井白石間部詮房が推進する正徳の治には積極的に関与せず、一定の距離を置いていたため、白石からは批判的な評価を受けている。また、江島生島事件では共に尋問を行った仙石、稲生と共に民衆から落書にて風刺され、定鑑は「風向き次第に飛ぶ糸の切れた凧」に例えられて揶揄された[1]

一方で気配りの利くエピソードも残っている。小伝馬町の牢屋敷に収容された囚人への差し入れはそれまで役人から牢名主を経由して囚人の下に届くという慣例であったが、牢名主による差し入れの横領が横行していた。定鑑はこの悪習を防止するべく、慣例を改めさせ役人から直接囚人の手に届くように改めた[2]

参考書籍

脚注

  1. ^ 丹野「江戸の名奉行」P73 - P74
  2. ^ 丹野「江戸の名奉行」P74 - P75

坪内定鑑

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/22 15:33 UTC 版)

古着屋総兵衛影始末」の記事における「坪内定鑑」の解説

北町奉行柳沢意を受け大黒屋査察のために鹿家達を送り込む

※この「坪内定鑑」の解説は、「古着屋総兵衛影始末」の解説の一部です。
「坪内定鑑」を含む「古着屋総兵衛影始末」の記事については、「古着屋総兵衛影始末」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「坪内定鑑」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「坪内定鑑」の関連用語

坪内定鑑のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



坪内定鑑のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの坪内定鑑 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの古着屋総兵衛影始末 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS