板倉勝重
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/08 09:21 UTC 版)
板倉 勝重(いたくら かつしげ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての旗本、大名。江戸町奉行、京都所司代。板倉家宗家初代。僧としての法名は香誉宗哲(こうよそうてつ)。史料では官職を冠した板倉伊賀守の名で多く残っている。
注釈
- ^ 勝重妻は先夫・中嶋重次との息子・重好と娘の2人を連れて再婚し、勝重の養子とした。中島与五郎重好は後に徳川家康の許しを得て、慶長6年(1601年)に三河国渥美郡大崎に607石を与えられ実父の家系を再興し、交代寄合旗本中島与五郎(中嶋與五郎)家の祖となった。中島家はのちに知行1千石を越える。織田家に属していた中島与五郎政成が織田信長の娘の五徳の輿入れに従って徳川家家臣となった。政成の子で、重好実父の中島与五郎重次は天正4年に遠江国相良沖で武田氏の海賊衆と交戦して敗死している。重好も、天正18年には徳川氏の船手衆小笠原正吉(幡豆小笠原氏)の推挙で徳川家康に拝謁し、船手役を勤めていたとする記録がある。与えられた領地大崎でも海に面した大崎城跡に陣屋を構え、将軍の上洛時は三河湾の海上警備を命じられている。徳川氏にとって中島家は、板倉氏の推挙が無くても三河の海を守備するために必要だったとも考えられる。
- ^ 現在の愛知県岡崎市小美町。
出典
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板倉勝重
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 06:58 UTC 版)
徳川家臣。京都所司代として朝廷・西国大名の監視役を務めている。織部に茶の湯を師事するなど数寄に理解があるため、心情を察しつつも粛々と職務を遂行する。
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板倉勝重(いたくら かつしげ)
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板倉勝重
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/07 16:09 UTC 版)
家康の信任の篤い譜代大名。江戸幕府の京都所司代を勤め、上方の情報を逐一家康の下へ送っている。極めて優秀な能吏で唐突に出来した変事も万事そつなく処理し、その行政手腕の鮮やかさは徳川家中屈指の知恵者と評判が高い。
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