地下水性ゲンゴロウたちとの出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 05:01 UTC 版)
「上野俊一」の記事における「地下水性ゲンゴロウたちとの出会い」の解説
日本における地下水性動物相の研究をリードしていたのは父である益三であった。上野と地下水性ゲンゴロウとの出会いについての前に、日本における地下水性動物相の研究史について少し記述しておく。 日本において、地下水性動物の研究が始まったのは古く、1889年(明治12年)に遡る。この年、宍戸一郎によって東京市ヶ谷の井戸からカントウイドウズムシ Phagocata papillifera(Ijima et Kaburaki, 1916)が採集されたのが最初であるが、記載されたのは27年後の1916年になってからだった。 次の発見は、1915年(大正4年)、川村多実二によって滋賀県大津市の井戸からメクラミズムシが採集されたもので、W. M. Tattersallによって6年後の1921年にPhreatoasellus kawamurai (Tattersall, 1921)として記載された。さらに翌年、1922年(大正11年)にはメクラヨコエビの3新種が記載されたほか、三重県津市の柏原邸の井戸で原孫六によって淡水性のクラゲの1新種が発見され、丘浅次郎とともにイセマミズクラゲLimnocodium iseana Oka & Hara, 1922として記載された。 これらは偶然の産物として発見されたものであって、日本における地下水性動物相の体系的な研究はしばらくあとになってからになる。 1945年(昭和20年)ごろから、兵庫県に住む森本義信が井戸地下水の調査を開始した。5年後の1950年、森本は姫路市の井戸から奇妙な甲殻類を発見する。この標本は、上野益三に送られ、その結果当時ヨーロッパの一部からしか見つかっていなかったムカシエビの新種であると同定された。龍野高校の理科教員だった三浦佳文が採集した標本と併せ、益三の手によってムカシエビ Bathynella morimotoi Uéno, 1952とミウラオナガムカシエビ Parabathynella miurai Uéno, 1952として命名記載すると、当時の動物学界は「ちょっとしたセンセーション」が巻き起こったという。森本義信はこの発見をきっかけに、全国各地での地下水性動物相の調査を本格化させ、多数の新種を発見しており、正に地下水性動物研究のパイオニアと言える存在である。 この発見には、上野俊一にも関わったもので、益三から指示を受け各地の洞窟での調査の途中で、汽車やバスの待ち時間にはポンプ井戸を探し、ギリギリまで井戸を押し続けるという仕事が加わった。 そして、1951年(昭和26年)10月、兵庫県太子町の井戸から、森本義信によって2種のゲンゴロウが発見される。得られた標本はすぐに上野の元に届き、森本義信はもちろん、三浦や上野自身も兵庫県と京都府を中心に調査を進め、追加個体が得られた結果、1957年に新科(Phreatodytidae)新属新種のムカシゲンゴロウ Phreatodytes relictus S. Uéno, 1957と、ケシゲンゴロウ亜科の新属新種メクラゲンゴロウ Morimotoa phreatica S. Uéno, 1957とその亜種ミウラメクラゲンゴロウ Morimotoa phreatica miurai S. Uéno, 1957として記載されるに至った。 当然これらの新種は昆虫学界における大ニュースとなり、様々な研究者が地下水での可能性に注目するきっかけとなった。後に九州大学の教授となる森本桂が高知県の実家周辺の井戸での調査を行い、新種のメクラゲンゴロウを採集している。後年、1996年に上野によってトサメクラゲンゴロウ Morimotoa morimotoi S. Uéno, 1996として記載されるなど、地下水性昆虫相研究において、極めて大きな影響を与えたといえる。
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