国府の施設と配置とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 国府の施設と配置の意味・解説 

国府の施設と配置

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 16:29 UTC 版)

国府」の記事における「国府の施設と配置」の解説

律令において、令制国中心地である国府には、国司政務を執った国庁重要施設設置されており、国庁周囲土塀等によって区画されていた。国庁とその周り役所群を国衙(こくが)といい、それらの都市域を総称して国府という。現在は役所群のほうを国衙都市のほうを国府分けて用いているが、国府国衙同一視する説もある。その説によると、国府国衙は、同時代的には置換可能な語で、歴史的に国府の方が先行し8世紀には専ら国府という言葉用いられ平安時代後期以降国衙一般的になったとされている。 各国の差が小さいのは中心となる国庁で、区画中に中庭囲んで正殿東脇殿、西脇殿を冂字形配置し、南に正門を持つ。外形上最も整備された形では、南門から出る南北道と、これと交差する東西道が中心街路をなし、その他の官衙国司館、その他施設区画割りして配置される。しかし多く場合国庁取り巻建物群の配置規律は緩い。国府内と外区分する外郭線は、国府城柵置かれた様な例外除き存在しない国府限らず律令制時代の日本では役所建物曹司といい、これ等まとまった一区画を院と呼んだ国司館は、守館、介館など、国司為に用意され公邸である。元々、国司国庁政務を執ったが、平安時代中期以降国司館政務中心になった。国府には正倉付属するが、奈良時代には徴税実務上郡重要性大きく地方の正倉大部分郡衙にあった(例として静岡県藤枝市志太郡衙)。また工房があって、国府勤務官人需要応じ都に送る調庸物を生産した役所工房で働く人には、国厨(国府厨)から給食出された。周囲には工房働いた様々な雑務を行う労働者が住む竪穴住居群や、更に市場もあった。水運為に国府津呼ばれる港が設けられることあった。また、都と各国府間における短時間での情報伝達と都への税の運搬のため、駅路七道駅路)が造られた。 741年天平13年以降国ごと国分寺国分尼寺建てられることになったが、それ以前から国府機能密着した付属寺院を持つ国もあった。平安時代には更に総社指定された。 これ等施設一箇所集中して建てられる都市的な景観になったが、距離を置いて分散する例も多かった国衙には国司の他、史生国博士国医師、徭丁などの職員勤務しており、小国数十人、大国では数百人の人数規模だった。全体として人口は、畿内以西各国大宰府様に多い所で2、3千人達した推定されている。

※この「国府の施設と配置」の解説は、「国府」の解説の一部です。
「国府の施設と配置」を含む「国府」の記事については、「国府」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「国府の施設と配置」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「国府の施設と配置」の関連用語

1
6% |||||

国府の施設と配置のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



国府の施設と配置のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの国府 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS