地方の正倉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/26 19:04 UTC 版)
租や正税など官稲(かんとう)を収納する正倉は、国の管理下で郡家に付属しておかれるのが通例である。しかし、『出雲国風土記』によると意宇郡(おうぐん)では、山国郷・舎人郷・山代郷・拝志(はやし)郷に分置されていた。そのうち山代郷の正倉跡とされているのが、松江市大庭町の団原遺跡である。8世紀、9世紀、9世紀後半~10世紀の3期の建物郡が検出された。出雲郡は漆治(しつじ)郷・美談(みたみ)郷、飯石郡(いいしぐん)は三屋(みとや)郷・須佐(すさ)郷・来島(きじま)郷、仁多郡は三沢郷・横田郷、大原郡は屋代郷に、分置されていた。
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