大原郡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/15 14:08 UTC 版)
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、雲南市の一部(大東町各町・加茂町各町および木次町下熊谷・木次町上熊谷・木次町湯村・木次町平田・木次町北原を除く木次町各町)にあたる。
注釈
- ^ 比定地名は2009年現在のもの。郷域の比定は関(2006)を参考にした。
- ^ 「旧高旧領取調帳」は出雲国分が欠けているため、木村礎の手により「天保郷帳」をもとに作成され、「日本史料選書16 旧高旧領取調帳 中国四国編」(近藤出版社、1978年)に掲載されたデータが国立歴史民俗博物館によりデータベース化されている。
- ^ 下記のほか八所村(現・雲南市大東町須賀)が記載されているが詳細不明。町村制施行以前に諏訪村に合併したとみられる[1]。
- ^ a b 佐世村1村として記載。
- ^ a b 日井郷村1村として記載されているとみられる。
- ^ 無高のため「旧高旧領取調帳データベース」には記載なし。
- ^ 以下7村は「旧高旧領取調帳データベース」には記載なし。
- ^ 木次村のうち町分。本項では町数に数えない。
出典
大原郡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 15:50 UTC 版)
郷里に関しては大原郡を参照のこと。 郷里 神原郷、屋代郷、屋裏郷、佐世郷、阿用郷、海潮郷、来次郷、斐伊郷 寺院 新造院3所 神社 在神祇官社13所、不在神祇官社16所 地名 山野、河川 通道 意宇郡堺への道、仁多郡堺への道、飯石郡堺への道、出雲郡堺への道
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