四十代(1980年代後期 - 1990年代初め)
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「遠藤賢司」の記事における「四十代(1980年代後期 - 1990年代初め)」の解説
地道なライブ活動を続ける中、1987年にはマーシャルアンプを背に、ひとりでエレキの轟音ライブを始め、活動は新展開を迎える。演奏時間が極端に長い長編作品が数多く生み出されたのもこのころである。そして、1988年には遠藤賢司バンド(エンケンバンド)としての活動も開始。バンド結成にあたり、彼の念頭にあったのはMC5やブルー・チアーであった。当初のメンバーは、遠藤賢司(G. Vo)、ハロルド吉見=吉見孝司(B.)、ジキル浜田=浜田康史(Drums)であったが、1989年にはベースに元・子供ばんど(KODOMO BAND)の湯川トーベン、ドラムに嶋田吉隆が加入し、さらに1991年にはドラムに頭脳警察の石塚俊明が加入。メンバーは、遠藤賢司(G. Vo)、湯川トーベン(B.)、石塚俊明(Drums)となる。代々木チョコレートシティなどのライブハウスを中心に活動を展開。 1989年、ソノシート「壱円玉よ永遠なれ!」を自主制作。同年、ポリドールからシングルCD「エンケンのミッチー音頭」を発表。遠藤賢司バンドの湯川、嶋田をはじめとして、コーラスなどに多数のゲストが参加。1983年の『オムライス』以来、久々の作品リリースとなる本作は、青山ミチの「ミッチー音頭」のカバーであった。そしてこの曲は、当時ニッポン放送で放送されていたラジオ番組「三宅裕司のヤングパラダイス」のテーマ曲になる。冒頭の歌詞を「ヤンパラ聞いてりゃ素敵な眼〜」、サビの部分を「唄って踊ってヤンパラ聞いて」に変更した別バージョンがオンエアされていた。 1990年、遠藤賢司バンドのライブビデオ『純音楽』を発表。 同年4月20日に渋谷のクラブクアトロで行われたライブを収録。春日博文がゲスト参加している。「輪島の瞳」などを収録。 1991年、インディーズレーベルのソリッドから遠藤賢司バンド名義で二枚組ライヴアルバム『不滅の男 遠藤賢司バンド大実況録音盤』を発表。1989年から1990年にかけてのライブ音源を収録。当時のメンバーは湯川、嶋田であったが、正式メンバーに加入する前の石塚もゲスト参加している。本作収録の「輪島の瞳」は、当時プロレスに転向して世間の嘲笑的注目を浴びていた元横綱輪島大士に捧げたものであり、演奏時間は25分以上にもおよぶ。また同年には、インディーズレーベルのナツメグから、遠藤賢司バンド名義でマキシシングル「史上最長寿のロックンローラー」も発表。60cm四方の超特大ジャケットで、ジャケット裏の特製双六は根本敬による。収録されている楽曲も25分を超えるものであった。アナログ盤も製作され、米国発売された。 また、『ヤマアラシとその他の変種』(1990年)、『A TRIBUTE TO GODZILLA』(1991年)、『G.S. I LOVE YOU』(1992年)といったオムニバス盤のレコーディングにも参加している。
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