十両昇進から幕内昇進まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 10:17 UTC 版)
「明瀬山光彦」の記事における「十両昇進から幕内昇進まで」の解説
自己最高位の西十両7枚目で迎えた2011年5月技量審査場所では4勝11敗と大きく負け越したが、大相撲八百長問題で十両力士が多数引退したため、幸運にも東十両8枚目と半枚番付を落としただけであった。しかし7月場所も2勝13敗と大きく負け越し、幕下に陥落した。 その後は腰のヘルニアに悩まされて1年以上幕下から十両に上がれずにいたが、2012年に入ってからは張り差しから始まり押し込みながら上手取ってがぶり寄りを展開する相撲を見せるなど内容が充実していった。西幕下5枚目であった2012年9月場所は6勝1敗と大勝ちし、ようやく再十両昇進が決まった。この年の4月に木瀬部屋が再興され明瀬山も移籍しているため、木瀬部屋移籍後では初めて関取に昇進、この場所を勝ち越しで締めくくった。以後4場所十両を務め7〜8勝の小幅な勝ち越し・負け越しを挙げたが、2013年5月場所に7勝8敗を喫すると7月場所は東十両13枚目から運悪く西幕下2枚目まで地位を落とした。 またしても関取に返り咲いた2013年9月場所は8勝7敗で終え、この場所では右足を大きく引いて斜めに構えた独特の仕切りを行わなくなっていた。翌11月場所は番付運に恵まれて5枚半上昇の東十両8枚目の地位で土俵に上がるも、6勝9敗の負け越しに終わった。 翌2014年1月場所は幸運にも1枚半下降に留められて西十両9枚目の土俵に上がったが5勝10敗の不振に終わった。同年9月場所限りで7場所続いた十両の地位を離れるが、1場所の幕下生活を経て2015年1月場所で十両に復帰すると、同年7月場所からは十両では自身初となる3場所連続の勝ち越しとなった。特に、11月場所は4年ぶりに半枚ではあるが自己最高位を更新した場所で勝ち越しとなった。更に自己最高位を更新して西十両5枚目となった2016年1月場所でも8勝7敗と勝ち越すと、幕内で成績不振者が多かったため、同年3月場所では新入幕となった。新入幕まで所要48場所は学生相撲出身者としては4位のスロー出世で、上位3人は他大学出身であるため、日大出身者に限れば最スロー昇進である。新入幕会見で明瀬山は「自分の中で嫌になるときもあった。でも、親方が一生懸命指導してくれたので。一緒にビデオを見て勝負どころを教えてもらったし、『あきらめるな』と言ってくれた。親方の言うことを聞いたから、今の番付がある」と、会見で横に座った木瀬に感謝しきりだった。
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