北極星の高さによる緯度
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 09:55 UTC 版)
「ピュテアス」の記事における「北極星の高さによる緯度」の解説
観測者の緯度を決定する第2の方法は、天球の極(北半球の場合は天の北極)の仰角を測定することである。緯度がゼロの場所では天の北極の仰角はゼロであり、地平線上の1点となっている。観測者の天頂の赤緯もゼロであり、観測点の緯度と等しい。 観測者の緯度が大きくなると(北へ向かうと)、天の北極の高度(仰角)も同じだけ大きくなる。地球上の北極点は緯度が90度であり、天の北極の仰角も90度となる。 現代であれば、ポラリスがほぼ天の北極に近い位置に輝いているので、正確ではないがその高度から大まかな緯度がわかる。しかしピュテアスの時代にはポラリスは現在の位置にはなかったため使えなかった。ピュテアスは天の北極が四辺形の1頂点の何もない場所で、他の3頂点に星が輝いていることを記している。それらの恒星については記録が残っていないが、計算によるとりゅう座のαおよびκ、こぐま座のβだと見られている。 ピュテアスは北極圏の位置をつきとめ、地球の北端にある寒帯を探検する意図を持って北に帆走した。彼はその円の緯度を度数で知っていたわけではない。寒帯の定義としてピュテアスが知っていたのは、天球のうち常に沈まない部分を示す円と北回帰線 tropikos kuklos が接している位置だということだけだった。この円(線)の角度はストラボンによれば24度であり、ピュテアスが知っていたのはそれに相当する正接値だと思われるが、ピュテアスがそれについて述べた記録はない。ピュテアスがどのような数学的形式で知っていたかは定かではないが、自身が北極圏に入ったかどうかを知るためには定期的に天の北極(ストラボンらは eksarma tou polou と呼んだ)の仰角を計測するしかなかった。 今日では船上で象限儀を使って容易に仰角を計測できる。電子航行システムによって、そのような単純な計測装置も不要になっている。経度はピュテアスの時代には全く計測不可能だったが、船の周囲に全く陸が見えないということはめったになかったので、その点は大きな問題ではなかった。東西の距離の測定は地理学者の論争の的になっている問題で、ストラボンが頻繁に扱う主題でもある。gnōmōn を使えば、南北の距離は1度単位の精度で求めることが可能だった。 gnōmōn を使った計測では、揺れる船上でしかも夜に計測するのは至難の技である。ピュテアスは夜間は停船して上陸し、gnōmōn を使った計測をすると同時に原住民と話をしたと考えられる。そのために通訳を同行させた可能性もある。現存する断片から、航海日誌でもあるペリプルスにとって gnōmōn が極めて重要だったことがわかる。原住民との交流がどのようなものだったかはほとんど分かっていない。ケルト人とゲルマン人は彼に協力していたようであり、その航海が純粋に科学的なものだったことを示している。長い航海であるから、食料や水の補給をし、船を修理する必要があった。ピュテアス一行は特別な「客」としてもてなされたと考えられる。
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