北極海の航海とアメリカ独立戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/10 18:53 UTC 版)
「トマス・グレーブス」の記事における「北極海の航海とアメリカ独立戦争」の解説
1770年、グレーブスはアレトゥーサ(英語版)の海尉となり、1773年にはコンスタンティン・フィップス(英語版)と共にレースホース(英語版)の指揮を任されて、北極海で新しい発見をするための航海に向かった。その翌年には北アメリカにおじのサミュエルと赴き、ダイアナ(英語版)の指揮を任された。この艦は密輸防止のための小型スクーナー艦の1隻で、乗員は30人、4台の2ポンド砲を搭載していた。1775年5月27日、ボストンからこの艦がチャールズ川に派遣された時、大規模の反乱軍に攻撃された。到着するまでにこの反乱軍の規模はかれこれ2000人程度にまで膨れ上がり、しかも彼らは2台の野戦砲を持っていた。この事態が収まって、真夜中が近づいた頃に引き潮となり、ダイアナが座礁して横向きにひっくり返ったため、大陸軍はダイアナの砲撃に成功した。乗員はわずかな人数でよくしのいだが、艦を廃棄せざるを得なくなった。グレーブスはこの時、兄弟のジョン共々生まれて初めてひどいやけどを負い、このため旗艦のプレストン(英語版)の海尉がボートに乗って、ダイアナの乗員の救援に向かった。
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