北条砂丘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 01:44 UTC 版)
北条砂丘(ほうじょうさきゅう)は、倉吉平野の北の縁にあって、日本海と倉吉平野を隔てる海岸砂丘帯である。鳥取県内では、鳥取砂丘に次ぐ規模がある。海岸線に沿って東西に12kmほどの延長があり、南北方向の奥行きは1.5kmから1.8kmほど、面積は1100ヘクタールほどある。平均すると丘の標高は5-7メートル程度だが、高いところでは10-20メートル、最高部で30メートルある。海岸線に近いあたりでは、海岸線に沿って丘が立ち上がっているが、その背後には楕円状の砂丘が海岸線とは垂直の向きにいくつも並んでいて、高さ10-20メートル前後の起伏をつくっている。砂丘の東端は橋津川の河口、西端は由良川の河口までとされている。 天神川の上流にあたる中国山地は花崗岩が豊富である。花崗岩は風化しやすく、風化に強い石英や磁鉄鉱を主な成分とする砂となる。小鴨川や国府川などの急流では、こうした砂が大量に流されてきて海へ出る。山陰地方では北西の季節風が強く、砂は陸へ戻されて砂州をつくり、さらに風がこれを陸側へ吹き戻すことで砂丘を形成している。 砂丘は長いあいだ「毛立ち申さず」といって、人を寄せ付けない不毛の地だった。そればかりか、飛砂によって砂丘の近くに定住することも妨げられた。江戸時代に灌漑を試みた桝田新蔵は「砂漠」と呼んでおり、「砂丘」という呼称は明治以降のものである。砂丘のすぐ南側には、古くから山陰道が通っていたにも関わらず、本格的な街道町・宿場町は形成されなかった。近世に入って、砂防林と灌漑の整備の取り組みがはじまり、農地利用の先鞭がつけられた。小高い丘陵上の砂地への灌漑は容易ではなく、長年にわたって農民を苦しめたが、現代になって機械式の潅水装置が整備され、一大農業地帯へと変貌を遂げた。また、近年では風力発電の取り組みも行なわれている。 現在、砂丘は天神川によって東西に分割されており、東側部分にあたる天神川河口と橋津川河口の間を羽合砂丘として区別する場合もある。ただし、本来の地形としては全体として1つの地形であり、いまの天神川の流路は江戸時代の河道改修によって人工的に作られたものである。
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