劉備への諫言をめぐる議論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 04:20 UTC 版)
習鑿歯は、費詩がなした劉備への諫言について以下のように述べた。 『そもそも創業の君主は、天下の平定を待った後、正しい地位に就くものであり、後を継ぐ君主は自分の立場を早く固めて、人々の心を繋ぎ止めようとするものである。それだからこそ、恵公が朝に捕虜となると夕には子の圉(懐公)が立ち、光武帝は更始帝の存命中に帝号を称した。そもそも彼らは主上を忘れて、自己の利益を追求したのであろうか。いや、社稷を考えればこそである。今、先主(劉備)は正義の兵を糾合して、逆賊を討伐しようとしているのだ。賊は強力であり災禍は甚大であって、主上は没し国家は滅亡して、二祖(前漢の高祖、後漢の光武帝)の廟は、断絶して祭られていない。いやしくも皇族の内の優れた人物でなければ、誰がこれを継承できるのか。先祖を継いで天子の位につくのは、咸陽(秦を滅ぼした高祖)の時と異なり、正義によって逆賊を討伐するのに、どうして譲る必要があろうか。この時に当たって、速やかに有徳の人物を尊んで王統を奉じさせ、民衆を心から正道に立ち戻らせ、世の人々に昔の制度を示し、正義に従う者の心を一つにさせ、正義に悖る者全てを恐れさせることを知らなかったとは、暗愚にして分別のない態度といってよかろう。費詩が左遷されたのは当然である。』 なお裴松之は、習鑿歯の論のうち、これが最も優れていると賞賛している。
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