初日、日没まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/31 04:30 UTC 版)
「ハッテラス入り江砲台の戦い」の記事における「初日、日没まで」の解説
8月28日朝早く、USSミネソタ、USSウォバシュおよびUSSカンバーランドがクラーク砦への砲撃を開始し、軽量の艦船は東に約3マイル (5 km) の地点に輸送艦を誘導し、陸軍が上陸を始めた。ストリンガムはウォバシュがカンバーランドを引っ張る形で、その艦船を弧を描いて動かした。午前11時頃、USSサスケハナが戦列に合流した。これら艦船は砦にその舷側砲を向けて発砲し、後方の射程外に退いて弾填めし、また戻って発砲した。動き続けることで、砦の砲手が砲撃の間に照準を矯正できないようにし、このやり方で艦船の大砲に対する陸の大砲の伝統的な優位をほとんど排除した。この戦術はクリミア戦争のセバストーポリの包囲戦の時にイギリスとフランスの戦隊が使っていたが、アメリカ海軍が使ったのは初めてだった。 クラーク砦からの反撃は無効であり、手前で落ちるか頭上を飛び過ぎて、砲撃してくる艦船に当たることは無かった。正午少し過ぎ、守備隊の弾薬が枯渇し、午後12時25分に完全に無くなった。この時点で守備隊は砦を放棄し、ハッテラス砦に逃げる者もあれば、ボートで逃げる者もいた。北軍部隊を指揮するマックス・ウェーバー大佐はこの時既に上陸しており、砦の様子に気付いて部下にそこを占領するよう送ったが、海軍の戦隊は気付かず、その後5分間は砲撃を続けた。上陸部隊が唯一の損失を受けたのはこの混乱の数分間のことであり、兵士の1人が砲弾の破片で手に重傷を負った。幸運にも、上陸部隊の数名が大きなアメリカ国旗を振ることで艦船の砲手達の注意を引くことができ、艦砲射撃が止まってそれ以上の被害は出なかった。ストリンガムとその部下の艦長達はハッテラス砦にその注意を向けた。 一方、上陸はそれほどうまく運ばなかった。風が起こって波を立て、上陸ボートを水浸しにして転覆させ、バトラー将軍がそれ以上の上陸を中断させなければならなかったとき、まだ部隊の3分の1しか上陸していなかった。ウェーバー大佐は配下に318名しかいないことが分かった。これには自身の連隊である第20ニューヨーク歩兵連隊からの102名だけでなく、第9ニューヨーク歩兵連隊からの68名、沿岸警備隊からの28名、砲兵隊45名、海兵45名および重砲を操作できる水兵28名が含まれていた。磯舟から岸になんとか揚げることができた2門の野砲で、南軍の反撃があったとしても防ぐことはできたが、ハッテラス砦に攻撃を掛けるには勢力が不足した。 ハッテラス砦にたいして、ストリンガムはクラーク砦に対してやったようにその艦船を動かし続けた。守備隊は散発的に発砲することで弾薬を節約しようとしたので、ストリンガムは砦が放棄された可能性があると考えた(軍旗は翻っていなかった。戦闘前に古い旗がボロボロになっており、取り替えられることはなかった)。ストリンガムはUSSモンティチェロを入江に入れて様子を探らせたが、その時砦が生き返った。モンティチェロは脱出しようとしている時に座礁し、この状態で砲弾を5発受けた。水兵が数人軽傷を負ったが、モンティチェロには深刻な損傷にならなかった。 この日が終わる頃、戦隊は天候が悪化する可能性に後退し、疲れ切った守備隊は援軍を待ち焦がれ、上陸した北軍は飲み水が乏しくて夕食も摂れず、その敵軍が期待している援軍が来ることを恐れながら眠りに就いた。
※この「初日、日没まで」の解説は、「ハッテラス入り江砲台の戦い」の解説の一部です。
「初日、日没まで」を含む「ハッテラス入り江砲台の戦い」の記事については、「ハッテラス入り江砲台の戦い」の概要を参照ください。
- 初日、日没までのページへのリンク