しんよう‐しゅうしゅく〔‐シウシユク〕【信用収縮】
信用収縮
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信用収縮(しんようしゅうしゅく、credit crunch、別名:信用危機、信用逼迫、credit crisis, credit squeeze)とは、融資枠(または信用枠、availability of loans (or credit))の縮小、あるいは銀行の融資条件の急激な厳格化、という現象である。一般的に、信用収縮は公的金利の上昇と無関係な信用枠の縮小を含む。このような状況下では、融資枠と金利の関係は暗黙のうちに変化する。つまり、公的金利と無関係に融資枠が縮小したり、金利と融資枠との間の明瞭な関係が失われる(すなわち信用割当(credit rationing)が発生する)。信用収縮は、貸し手や投資家がよりリスクの低い国債などの投資先を(しばしば中小企業を犠牲にして)探す質への逃避(flight to quality)をもたらす[1]。リチャード・ヴェルナーは、1991年という段階で、日本が歴史的規模の不況型クレジットクランチに移行し、銀行破綻を招こうとしていることを指摘していた[2]。
- ^ a b Is There A Credit Crunch in East Asia? (PDF) Wei Ding, Ilker Domac & Giovanni Ferri (World Bank)
- ^ 1991 – "The Great Yen Illusion: Japanese Capital Flows and the Role of Land," Oxford Applied Economics Discussion Paper Series, Oxford: Institute of Economics and Statistics, University of Oxford, No. 129, December
- ^ China lifts reserve requirement for banks Archived 2011年8月8日, at the Wayback Machine.
- ^ Regulatory Debauchery (PDF) Archived 2009年12月29日, at the Wayback Machine., Satyajit Das
- ^ Has Financial Development Made the World Riskier? (PDF) , Raghuram G. Rajan
- ^ Why economic theory is out of whack Archived 2008年12月19日, at the Wayback Machine., Mark Buchanan, New Scientist, 19 July 2008
- ^ How the French invented subprime
- ^ Rowbotham, Michael (1998). The Grip of Death: A Study of Modern Money, Debt Slavery and Destructive Economics. Jon Carpenter Publishing. ISBN 9781897766408
- ^ Cooper, George (2008). The Origin of Financial Crises. Harriman House. ISBN 1905641850
- ^ Ponzi Nation, Edward Chancellor, Institutional Investor, 7 February 2007
- ^ Securitisation: life after death
信用収縮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 04:31 UTC 版)
同じアシアの、同じミトリダテスによって得られた教訓を忘れてはならない。あのとき、アシアでは多くの人が多くの資産を失い、ローマでは返済が滞り、信頼関係が(fidem)失われた。。。。このローマとフォルムにおける貸し借りと信頼関係(fides)は、アシアにおける投資と切っても切れないものだ。 キケロ『ポンペイウスのインペリウムについて』19 ローマでの貸し借りは、硬貨の流通量、担保となる地価、そして信頼関係(fides)に基づいていた。国家は硬貨の流通量をあまり調整していなかったため、急激な変化には対応出来なかった。地価は安定していたものの、これが下がれば融資も連動して縮小することになる。 同盟市戦争が始まると、イタリック人の支配領域からの収入は途絶え、担保としての価値を失い、債権者による取り立てが始まった。加えて戦乱による先行き不安によって誰もが現金をかき集めて硬貨流通量が減り、土地価格の下落が起ると、更に信用収縮が進むことになった。この問題に対応した紀元前89年首都プラエトルのアウルス・センプロニウス・アセッリオは、債務者救済策を打ち出したものの、民衆の暴動によって殺害された。 紀元前88年の執政官、スッラとクィントゥス・ルフスは、利息を12分の1に制限し、債務を1割カットするコルネリウス・ポンペイウス法(Lex Cornelia Pompeia unciaria)を通過させた。このような利息制限法は過去幾度が制定されているが、この法と同盟市戦争が下火となったことで、危機を脱しようかというところで、ミトリダテスのアシア侵攻が始まり、再度信用収縮が起った。これに対しては、紀元前86年のマリウス死後の補充執政官ルキウス・フラックスが、債務に関するウァレリウス法(Lex Valeria de aere alieno、借金の単位セステルティウスを1/4の価値であるアス (青銅貨)に切り下げた)を成立させた。この債務の75%カットは、担保である土地価格の下落に合わせたものとも考えられる。 親戚のグラティディアヌスも、良き人としての義務を果たせなかった。彼がプラエトルの時、護民官たちと共同で硬貨の基準を定めようとした。当時は硬貨の価値が乱高下していて、誰も自分が本当はいくら持っているのか分からなかったからだ。 キケロ『義務について』3.80 この信用収縮には硬貨の偽造が一役買っていた可能性もある。紀元前85年もしくは84年の首都プラエトル、マルクス・マリウス・グラティディアヌス(英語版)による法務官法(英語版)(プラエトルによる法解釈の布告)が定められたが、これはデナリウス銀貨の鑑定方法を定めたとされ、喜んだ市民はローマ中のあちこちに彼の像を建てたという。これはデナリウスとアス貨の交換レートを従来に戻したとも考えられ、偽造を防止することで硬貨への信用を回復させた。内乱後独裁官となったスッラも、偽造に関するコルネリウス法を定めている。
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