佐藤一からの批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/26 21:54 UTC 版)
清張の没後、新たな『日本の黒い霧』批判が登場した。佐藤一は自著『松本清張の陰謀 「日本の黒い霧」に仕組まれたもの』(2006年)において、『日本の黒い霧』での清張の視点をほぼ全面的に否定した。佐藤は松川事件の元被告で無罪判決を勝ち取った人物であり、占領史の研究で実績を残した。特に下山事件の研究で知られ、「自殺説」を支持する立場から『下山事件全研究』(1976年)を書いている。 佐藤からの批判の大要は、『日本の黒い霧』が謀略史観に基づいて書かれたために、その後の日本人の歴史感覚を狂わせたというものである。佐藤は前掲書において下山事件、松川事件、革命を売る男・伊藤律、追放とレッド・パージ、謀略朝鮮戦争、白鳥事件を取り上げ、これらの事件における松本の推理の誤りを説いた。同書の結びにあたる第7章「『日本の黒い霧』が隠蔽したもの」で佐藤は『日本の黒い霧』を「戦後史を辿る上の躓きの石」とたとえ、「過去にこだわりを持つ人たちだけではなく(中略)それより格段に多い人びとを、「黒い霧」という疑似空間に繋ぎとめ、正常な思考を麻痺させた」と自説を述べた。 権田萬治は佐藤の自説に対して「一方的に「陰謀」というレッテルを貼って感情的に批判していることを非常に残念に思った」と記述した。権田は佐藤がなぜこのような批判を書くに至ったのかについて、「下山事件研究会」事務局長を務めていた時代の経験に基づく不満と、日本共産党が武力闘争主義を前面に出していた当時の問題を総括していない点に原因があると推定している。
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