京福福井鉄道部の営業継続断念
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 14:38 UTC 版)
「京福電気鉄道越前本線列車衝突事故」の記事における「京福福井鉄道部の営業継続断念」の解説
半年の間に2回もの正面衝突を引き起こした事態を重く見た国土交通省と中部運輸局福井運輸支局は京福電気鉄道福井鉄道部に対し、2回目の事故翌日の2001年6月25日から全線の運行停止とバス代行を命じた。また同年7月に「安全確保に関する事業改善命令」が出された。 しかし同社はこの事故の5年以上前から、福井鉄道部単独では事業改善を行う原資も確保できない状態に陥っており、沿線住民に全線廃止を含む提案を繰り返し行っていた。事故理由の根幹には、この財政状態で積極的な車両更新や信号系統改良などに対する投資自体に関し、同社の鉄道事業全体の収支を考えても、基幹株主などの支持が得られない状態という現実があった。 同社福井鉄道部では、以前から合理化のため支線の廃止及びバス転換を行っていたが、1992年(平成4年)に越前本線の東古市 - 勝山間と永平寺線の廃止・バス転換を表明したのが最初である。これに関しては地元紙に全面広告も打ち出したこともあった。一方、豪雪地帯であり積雪時のバス代行輸送に困難な事情がある当地ではその提案が受け入れられず、むしろ高額な運賃が乗客減少の要因であるとする収入減少に対してトレードオフの関係を指摘する意見も強かった。そのため従来から同社と沿線自治体との間で軋轢が生じていた(えちぜん鉄道に移管後は運賃の低減を行った)。 このような中で事業改善命令が発せられても、大証2部上場会社である同社には、親会社である京阪電気鉄道による資金援助は期待できず、また鉄道営業を維持する改善費用の捻出や、改善姿勢や原資の維持自体にすでに無理があった。そのため事業改善命令の負担に耐えられないとして、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}同社は福井鉄道部の営業継続を断念した。[いつ?]
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