両軍の事情
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 10:17 UTC 版)
ユーゴスラビア第5軍はギリシャ国境〜クリバパランカ(Kriva Palanka)間の南東の国境の防衛の責任を負った。しかし、ドイツ軍のユーゴスラビア進撃開始時点で、ユーゴスラビア軍はまだ動員中であり、また、最新の武器等も不足していた。ブルガリアにドイツ軍が移動したことにより、ギリシャ軍の大多数が西トラキアから退却した。この時までにギリシャ第2軍配下でブルガリア国境を防衛している人数は約70,000名であった。残りの戦力はアルバニアに進駐しているギリシャ第1軍、14個師団でしかなかった。 3月28日、イギリスのウィルソン将軍配下のギリシャ第12、第20歩兵師団は中央マケドニアのラリッサの北東に司令部を置いた。オーストラリア師団がヴァーミオンでアリャクモナス川を遮っている間、ニュージーランド師団はオリンポス山の北に進んだ。イギリス空軍はギリシャ中南部の飛行場から軍事行動を続けていたが、戦場に向かうことができなかった。イギリス軍はほとんどが自動車化されていたが、ギリシャの山岳地帯よりも砂漠での戦いに向いている装備であった。また、戦車、対空砲などが足りず、またイギリスがエーゲ海を制覇したといいながらも、護衛艦、輸送船はドイツ軍が占領している島近辺を通らねばならず、地中海を通した補給線等は脆弱なままであった。これらの事実は輸送を限定化し、さらにギリシャの港の低い機能性のため悪化していった。 ドイツ軍は第12軍(司令官ヴィルヘルム・リスト)がマリータ作戦の責任を負い、その配下には6つの軍が所属した。 第1装甲集団(司令官エヴァルト・フォン・クライスト大将) 第XL装甲軍団(司令官ゲオルク・シュトゥンメ中将) 第XVIII山岳軍団(司令官フランツ・ベーメ中将) 第XXX歩兵軍団(司令官オットー・ハルトマン中将) 第I歩兵軍団(司令官ゲオルク・リンデマン中将) 第16装甲師団、トルコを攻撃する際にはブルガリア軍を支援するために、トルコ、ブルガリア国境に移動する予定であった。
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