三遊亭円朝像とは? わかりやすく解説

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三遊亭円朝像(鏑木清方筆/絹本著色)

主名称: 三遊亭円朝像(鏑木清方筆/絹本著色
指定番号 2000
枝番 0
指定年月日 2003.05.29(平成15.05.29)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 絵画
ト書
員数 1幅
時代区分 昭和
年代
検索年代
解説文:  鏑木清方かぶらききよかた】は東京神田生まれ前半生過ごした明治期東京下町風俗終生こよなく愛し、これを生涯題材とした。一三歳で水野年方【としかた】に入門し一六歳のころから生活の資として挿絵描いたが、本絵制作にも取り組み明治三十四年(一九〇一)に烏合会【うごうかい】を結成し、さらに大正五年(一九一六)、松岡映丘えいきゅう】、吉川霊華【きつかわれいか】、平福百穂ひらふくひゃくすい】、結城素明ゆうきそめいと金鈴社【きんれいしゃ】を結成して以降研鑽重ねて画境深めた昭和四十七年没するまで、文展はじめとする官展その他の展覧会精力的に発表するとともに、「卓上芸術」を提唱するなど独自の信念基づいた自由な境地を拓き、日本画壇の重鎮として長く活躍した
 描くところの女性像美人画として上村松園うえむらしょうえん】と並称されたが、多く江戸明治風情色濃くとどめ、単なる美人画というより文学性豊かな風俗画というべきであろう一方肖像画にも強い関心をもち、「三遊亭円朝像」や「一葉」等の傑作を遺している。
 本図は、第一一回帝国美術院出品作で、筆者の父の友人であり、筆者自身若き日親しく接したこともある著名な落語家三遊亭円朝一八三九一九〇〇)の肖像である。清方は円朝の伴をして小旅行したこともあるほどに近しかったが、「痩せていたが大柄で、面長な顔は戒壇院四天王塑像などに見るような、彫りの深い異相ともいえようか、名人厳しさを、結んだ口元、光る瞳のうちに蔵していた」(「円朝野州旅した話」昭和三十八月)と自ら記すとおり、円朝その人髣髴させるとともに、深い人間性表現し得た優れた出来栄えとなっている。
 鏑木清方代表作であるだけでなく、近代における肖像画傑作として推奨される



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