さんにんきちさくるわのはつがい〔サンニンキチサくるわのはつがひ〕【三人吉三廓初買】
三人吉三廓初買
読み方:サンニンキチザクルワノハツガイ(sanninkichizakuruwanohatsugai)
三人吉三廓初買
読み方:サンニンキチザクルワノハツガイ(sanninkichizakuruwanohatsugai)
三人吉三廓初買
読み方:サンニンキチサクルワノハツガイ(sanninkichisakuruwanohatsugai), サンニンキチザクルワノハツガイ(sanninkichizakuruwanohatsugai)
分野 歌舞伎
年代 幕末
三人吉三廓初買
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/21 08:01 UTC 版)
『三人吉三廓初買』(さんにんきちさ くるわの はつがい)は、安政七年 (1860) 正月、江戸市村座で初演された歌舞伎の演目。通称『三人吉三』。世話物、白浪物。二代目河竹新七(黙阿弥)作。全七幕十三場の長編[1]。3人の盗賊が百両の金と短刀とをめぐる因果応報で刺し違えて死ぬまでを描いた物語[2]。
注釈
- ^ 吉原遊廓を舞台にした部分を省略し、「廓初買」が意味をなさなくなったためである。
- ^ 『三人吉三』の初演が行われた安政7年正月、市村座と並んで江戸三座の一つである中村座では、『水滸伝』に題材をとった『金瓶梅曽我松賜』(きんぺいばいそがのたまもの)が演じられていた[4]。これを踏まえて初演時には、お嬢吉三・お坊吉三から義兄弟の契りを求められた和尚吉三が「聞きやァ隣は水滸伝 顔の揃った豪傑に しょせん及ばぬ事ながら こっちも一番三国志 桃園ならぬ塀越しの 梅の下にて兄弟の 義を結ぶとはありがてへ」と答えている[4]。
- ^ 文里は黙阿弥の友人細木香以がモデルといわれる。一恵は梅暮里谷峨の洒落本『傾城買二筋道』に登場する遊女。
- ^ この時の演目『金瓶梅曽我松賜』(前述)で、今牛若の武松に扮した[4]。同年(1860年、万延元年)7月に、四代目中村芝翫を襲名。
- ^ 60日ごとの庚申の夜は体内の三尸の虫が天帝に悪事を報告しないよう、眠らず徹夜で話をするという道教思想を源流とする習慣(庚申待)を意味している。江戸時代以降、各地で庚申講がもたれるなど庚申信仰が庶民にも広く普及した。
- ^ 監督:姓丸浩、原作・脚本:玉江竜二、出演:松本栄三郎、宮川敏子、実川童、斬波快輔ほかによる白黒映画。
- ^ 監督:田中徳三、製作:三浦信夫、脚本:犬塚稔、出演は市川雷蔵のほか、島田竜三、北原義郎など。
出典
- ^ a b c d 歌舞伎事典「三人吉三廓初買」 - 文化デジタルライブラリー
- ^ a b c 歌舞伎演目案内「三人吉三巴白波」 -
- ^ a b ArtWiki「三人吉三廓初買」 - 立命館大学アートリサーチセンター
- ^ a b c 河竹黙阿弥『三人吉三廓初買』今尾哲也校注、新潮社〈新潮日本古典集成 ; 第65回配本〉、1984年、126頁。ISBN 4106203650。
- ^ シネマ歌舞伎「三人吉三」 - 松竹
- ^ “三人吉三 – 木ノ下歌舞伎 official website”. kinoshita-kabuki.org. 2021年5月19日閲覧。
- 1 三人吉三廓初買とは
- 2 三人吉三廓初買の概要
- 3 初演時の主な配役
- 4 脚注
三人吉三廓初買
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/24 23:15 UTC 版)
歌舞伎『三人吉三廓初買』、通称『三人吉三』は同じ名を持つ三人の盗賊がおりなす物語。「月も朧に白魚の、篝も霞む春の空。冷てえ風も微酔に心持よくうかうかと、浮かれ烏のただ一羽塒(ねぐら)へ帰る川端で……(中略)こいつぁ春から縁起がいいわえ」と有名な台詞を朗々と唄い上げる女装の盗賊「お嬢吉三」は八百屋お七の見立て(パロディ)である。序幕で「八百屋の娘でお七と申します」と名乗り、大詰では、お嬢吉三が櫓に登って太鼓を打ち、木戸が開いて櫓の前に三人の吉三が集合する。三人吉三は役人に取り囲まれて自らの悪行に観念する。パロディであっても歌舞伎のお七物では振袖姿で櫓に登り太鼓を打つのが「お約束」。
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