ローマ大火とは? わかりやすく解説

ローマ大火

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/08 14:40 UTC 版)

ローマ大火(ローマたいか、: Great Fire of Rome)は、西暦64年7月18日、皇帝ネロ時代のローマ帝国の首都ローマで起こった大火災を指す[1]


  1. ^ July 18, 64 AD: The Great Fire of Rome, Nero Blames Christians!”. HISTORY & HEADLINES. 2020年7月18日閲覧。
  2. ^ a b タキトゥス『年代記』15巻
  3. ^ スエトニウス『ローマ皇帝伝』
  4. ^ 明石和康 『ヨーロッパがわかる 起源から統合への道のり』岩波書店、2013年、14頁。ISBN 978-4-00-500761-5 
  5. ^ 教皇ベネディクト十六世の168回目の一般謁見演説
  6. ^ タキトゥス『年代記』15巻、スエトニウス『ローマ皇帝伝』


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ローマ大火

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初期キリスト教」の記事における「ローマ大火」の解説

64年、ローマ大火の放火犯人としてキリスト教徒多数処刑された。このネロ帝による処刑は、タキトゥス『年代記』(1544)によるものだが、この迫害キリスト教弾圧目的したものでもなく、キリスト教徒であることが処刑理由になったではなく処刑以後キリスト教への迫害続いたわけではなくローマ教会放火事件以降以前のように礼拝続けた当時キリスト教社会はすでに大きな新興宗教集団となっており、ローマ伝統的な神々への信仰否定していたため、タキトゥスキリスト教人類敵視した罪であり常軌を逸した迷信であると批判したまた、ネロによる迫害についてのタキトゥス記述2世紀当時キリスト教観を示しており、1世紀段階ヨセフス新約聖書との相違著しいため、その史実性には幅があることには注意しなくてはならないローマ帝国キリスト教対す迫害についてテオドール・モムゼンは、ローマ帝国によってユダヤ教は「許され宗教」で、キリスト教は「許されざる宗教」と対比したが、これは事実反し少なくとも1世紀段階では、キリスト教迫害ネロ迫害除いてユダヤ教迫害一環として行われていた。

※この「ローマ大火」の解説は、「初期キリスト教」の解説の一部です。
「ローマ大火」を含む「初期キリスト教」の記事については、「初期キリスト教」の概要を参照ください。

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