ローマ大火
ローマ大火
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/13 00:26 UTC 版)
64年、ローマ大火の放火犯人としてキリスト教徒が多数処刑された。このネロ帝による処刑は、タキトゥスの『年代記』(15・44)によるものだが、この迫害はキリスト教弾圧を目的としたものでもなく、キリスト教徒であることが処刑理由になったのではなく、処刑以後キリスト教への迫害が続いたわけではなく、ローマ教会は放火事件以降も以前のように礼拝を続けた。 当時のキリスト教社会はすでに大きな新興宗教集団となっており、ローマの伝統的な神々への信仰を否定していたため、タキトゥスはキリスト教は人類を敵視した罪であり常軌を逸した迷信であると批判した。また、ネロによる迫害についてのタキトゥスの記述は2世紀当時のキリスト教観を示しており、1世紀段階のヨセフスや新約聖書との相違が著しいため、その史実性には幅があることには注意しなくてはならない。 ローマ帝国のキリスト教に対する迫害についてテオドール・モムゼンは、ローマ帝国によってユダヤ教は「許された宗教」で、キリスト教は「許されざる宗教」と対比したが、これは事実に反し、少なくとも1世紀段階では、キリスト教迫害はネロ迫害を除いてユダヤ教迫害の一環として行われていた。
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