ロックンロールからロックへとは? わかりやすく解説

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ロックンロールからロックへ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 07:07 UTC 版)

ロックンロール」の記事における「ロックンロールからロックへ」の解説

1950年代末から早くも黒人音楽ルーツに持つロックンロールラジオテレビで演奏される事を嫌悪し白人日曜説教師保守派政治家講演会新興宗教キリスト教のビル・グレアムによるロックンロール批判巻き起こった同時にエルヴィス・プレスリートム・パーカー大佐の関係に見られるような「ロックンロール商業化」とあわせ、主要ミュージシャン徴兵事故死服役などで次々とシーン去ったことから、ロックンロール次第にその勢い失っていった。以下はこの時期起きた出来事である。 1957年末 - オーストラリアでのツアー向かっていたリトル・リチャードは、移動中の太平洋上で乗っていた飛行機エンジンが火を噴くのを窓から目撃し願いかなった神職につくと、搭乗機の無事を祈った。無事シドニー到着したリチャード突如引退し神学校入学して牧師となった(後に復帰)。 1958年3月 - エルヴィス・プレスリー陸軍召集1960年3月満期除隊1958年5月 - イギリスツアー予定していたジェリー・リー・ルイスの妻が13歳だった事が現地問題化しツアーキャンセル当時米国では合法であったものの、問題掘り起こすうちに前妻との離婚未成立だった事が発覚し重婚罪として本国でも問題化一時追放(後に復帰)。 1958年末 - それまで合法的な慣例とされていた「宣伝料を支払ってオン・エアしてもらう」ペイオラが、突如不道徳・反倫理的として糾弾され翌年には非合法化遡及的アラン・フリード人気DJ追放された。 1959年2月 - バディ・ホリーリッチー・ヴァレンス、ビッグ・ボッパーが飛行機事故死亡音楽が死んだ日)。 1959年12月 - 14歳少女不法に州境越えて連れ回したとしてチャック・ベリー逮捕される1962年から2年間服役)。 1960年4月 - イギリスツアー中だったエディ・コクラン移動中の自動車事故死亡同乗ジーン・ヴィンセント重傷負い後遺症が残る。 ペイオラ・スキャンダルで大物DJ大量にマイクの前から消える中、駆出しDJとして関与していたディック・クラークらは当局レコード会社との取引によって追放免れこれを機に大人からも容認される比較健全な曲を掛ける方向転向した日本ロックンロール勘違いされることが多いポール・アンカニール・セダカデル・シャノンや、ジーン・ピットニーボビー・ヴィーらも含め毒気少な歌手音楽白人黒人ガール・グループ等、毒気抜かれ音楽紹介されブリティッシュ・インヴェイジョンまで、一時的な停滞があったとする見方もある。 一方イギリスでは、これらのロックンロールブルースR&B影響を受けたミュージシャン登場し始めロックンロール/ロック主要な舞台イギリス移りビートルズローリング・ストーンズザ・フーキンクスアニマルズなどに受け継がれていくこととなる。

※この「ロックンロールからロックへ」の解説は、「ロックンロール」の解説の一部です。
「ロックンロールからロックへ」を含む「ロックンロール」の記事については、「ロックンロール」の概要を参照ください。

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