ムガル朝の衰退とインドの分裂とは? わかりやすく解説

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ムガル朝の衰退とインドの分裂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 08:00 UTC 版)

近世から近代にかけての世界の一体化」の記事における「ムガル朝の衰退とインドの分裂」の解説

詳細は「ムガル帝国」および「マラーター王国」を参照 50年におよぶ治世のなかで、デカン遠征をはたしてインド亜大陸のほぼ全域支配した皇帝アウラングゼーブ1707年死去したイスラーム神学にも深い造詣をもつ彼は、「生きた聖者」とよばれる厳格なイスラーム教徒で、異教徒抑圧したため、晩年ヒンドゥー教徒反発各地農民一揆悩まされる日々過ごしたアウラングゼーブ死後ムガル朝中央集権的な軍事国家体制崩壊しバハードゥル・シャー1世在位1707年 - 1712年)、ジャハーンダール・シャー在位1712年 - 1713年)、ファッルフシヤル在位1713年 - 1719年)、ラフィー・ウッダラジャート在位1719年)、ラフィー・ウッダウラ在位1719年)の6人の皇帝が、ムハンマド・シャー在位1719年 - 1748年)が1719年パーディシャー皇帝)の称号得て即位するわずか12年の間に、相次いで廃位殺害くり返す混乱態となった。これは、度重なる皇位継承戦争サイイド兄弟皇帝位干渉しつづけたことによるムハンマド・シャー即位また、サイイド兄弟信任よるものだった。 ヒンドゥー教では17世紀後半よりシヴァージーによって率いられマラーター族ムガル朝反乱起こしデカン高原西部マラーター王国称してアウラングゼーブ苦しめたが、1680年シヴァージーが死ぬと、王国ムガル朝におされて一時衰退していた。 1708年マラーター王国中心に有力諸侯によるマラーター同盟結成された。1713年マラーターシャーフーはその王位継承に功のあった司令官バーラージー・ヴィシュヴァナート初代宰相任じた。ここに、王国宰相中心とする各地の有力諸侯ラージャ)による諸侯連合体制がしだいに整備されて、ムガル朝衰退乗じてインド中部から北部へと勢力伸ばし1737年には弱体化したムガル朝首都デリー攻撃した一方1708年ムガル朝地方統治者と戦っていたシク教第10代教主グル・ゴーヴィンド・シングは、デカン高原マラーター王国遠征中にアフガン人刺客から受けた傷がもとで死亡した彼の4人の息子ムガル朝との戦争先に死んでおり、遺言により教主職の相続廃止し聖典『グラント・サーヒブ』を教主グル)として仰ぐようにしたため人間としてのグルは彼が最後となったこののちシク教徒たちは、1710年から1715年にかけてムガル朝対し大規模な反乱起こしている。 その間1739年には、アフシャール朝イランナーディル・シャーインド侵攻している。首都デリーでは略奪虐殺くり返しシャー引き揚げあとはまるで廃墟のようだったという。長いあいだ栄えたムガル朝巨万の富は諸外国にも鳴り響いており、莫大な財貨持ち帰った彼はイラン人びとから英雄として迎えられた。戦利品なかにはムガル朝象徴孔雀の玉座」があった。これは、2羽のクジャクを飾る宝石ちりばめられたもので、シャーによって解体され宝石の山となって持ち帰られたという。 サファヴィー朝ムガル朝ともに、もともと内陸部騎馬民の軍事力背景にして成立した王朝国家ということもあり、海上交易には比較関心がうすく、インド洋ペルシア湾でのヨーロッパ諸国活動をほとんど制限しなかった。また、ヨーロッパ新し科学技術対す関心概して低かった。それが、ヨーロッパ諸国本格的な進出を許す原因ともなった。しかし、両王朝衰退は主に領域内からの反乱よるものであり、ヨーロッパ人進出結果とはいえない。ヨーロッパ人進出、特にイギリスによるインドの植民地化はむしろその衰退乗じたものといえる。

※この「ムガル朝の衰退とインドの分裂」の解説は、「近世から近代にかけての世界の一体化」の解説の一部です。
「ムガル朝の衰退とインドの分裂」を含む「近世から近代にかけての世界の一体化」の記事については、「近世から近代にかけての世界の一体化」の概要を参照ください。

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