ホーナー社の登場
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1827年のハーモニカの誕生年から時が経て、その後改良が加えられ、中でもクリスチャン・メスナーなどが企業秘密にしていたハーモニカの製造法を密かにマスターして、自分の会社を設立したマティアス・ホーナー (Matthias Hohner、1833年 – 1902年) が、Hohner Musikinstrumente GmbH & Co. KG の創業者として、サイドル社から遅れること10年後の1857年、ホーナー社 (Hohner) を誕生させ、商業生産を始めた。当時は南ドイツのトロッシンゲン (Trossingen) にいくつもの小さなハーモニカ工房があり、ホーナーはそれらを吸収合併していき、企業力を高めていった。それと同時に、部品の製作の分業化を行い、技術の流出を防いだと言われている。ホーナー社がある地域では人口のおよそ1/3がホーナー社に就職していた記載が残されている。1862年-マティアス・ホーナーは、既にアメリカ大陸に移住していた親戚の勧めで、ホーナー社のハーモニカを初めてアメリカに輸出した。カナダに住んでいた従兄に自分の作ったハーモニカを6本送り、6ドルを手にしたのが、初のアメリカ大陸輸出と言われる。 ホーナー社のハーモニカ「マリンバンド」の米国での広告。価格は50セントだった。 ホーナー社のミニ・ハーモニカ「リトル・レディ」。人類が宇宙空間で演奏した最初の楽器となった(宇宙船ジェミニ6-A号)。 マリンバンドによる演奏例 蒸気機関車の音のような独特の奏法を交えている。 この音声や映像がうまく視聴できない場合は、Help:音声・動画の再生をご覧ください。 ホーナー社は世界的なハーモニカメーカーとなった。1896年にホーナー社から発売された同社のマリンバンドという単音十穴ハーモニカはブルース奏者の愛用するところとなり、独特の奏法も生まれた。マリンバンドとは当時憧れの的であったアメリカ海軍軍楽隊の名前で、価格は、当時 US 50セントだったという。この価格設定は、実に巧妙で、ピアノやサクソフォーンは無理でも、何ヶ月か貯金をすると貧しい黒人社会の人間でも購入できる楽器であった。本体を横から見た姿がハープに似ているということから当時のハーモニカは米国でも「マウス・ハープ」と呼ばれたため、ホーナー社はブルースハープというモデルを発売した。この名称は現在ではメーカーを問わず、単音十穴ハーモニカを指して呼ぶほどの知名度を獲得した。
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