プラトン以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 15:46 UTC 版)
古代エジプト人は幾何学的真理を経験的に発見したが、古代ギリシア人による偉大な業績は経験的な方法に代えて論証的な学問を用いたことであった。この学問の体系的な学習は紀元前6世紀後半のピュタゴラスの学校で始まったとみられている。幾何学の三つの基本原理は、ある体系内の確かな命題は論証されずとも真として受け入れられなければいけないこと、同じ体系内の別の命題はそれら確かな命題から導出されなければいけないこと、その導出は「形式的」つまり問題となっている特定の命題とは独立な方法でなされなければいけないこと、である。初期のそうした証明の断片がプラトンやアリストテレスの著作の中に残っており、演繹的な体系という発想がピュタゴラスの学校及びプラトンのアカデメイアで知られていたと考えられる。 幾何学とは別に、基本的な議論のパターンが、紀元前5世紀のソクラテス以前の哲学者エレア派のゼノンの用いた「背理法」にみられる。これは前提から明らかに間違っている不合理・不可能な結論を導くことで前提の誤りを証明する方法である。プラトンの『パルメニデス』ではゼノンは複数のものが存在するという前提から不合理な結論を証明することでパルメニデスの一元論を擁護する本を著したと主張する人物として描写されている。このような「弁証的」な推論を行った他の哲学者としては、パルメニデスやゼノンの信奉者とされるメガラのエウクレイデスなどのいわゆる小ソクラテス学派がある。この学派の成員は「弁証学派」とも呼ばれた。 アリストテレス以前の思想家が推論の原理に関心を持ったというさらなる証拠は『両論』(古希: Δισσοὶ λόγοι)と呼ばれる断片にみられる。これは紀元前4世紀初に書かれたと考えられているもので、真偽に関する非常に長引いた議論の一部を収録している。
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