ブルグント人の起源
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/03 16:21 UTC 版)
ブルグント人がスカンジナビア起源であるとする伝承には、地名や考古学上の証拠による裏付けがあり、その伝承が正しいと考える人も多い。タキトゥスの著作を含む初期のローマ文献は、スカンジナビアについて考えもしなかったためか、ブルグント人が何処からやって来たのかについて、何も語られていない(タキトゥスはスカンジナビア民族のスイオーネス族(Suiones)については言及している)。ブルグント人が初めて登場するローマ文献によると、彼らはライン川の東に居住していた。初期のローマ文献では、ブルグント人は他の東ゲルマン諸民族の1つに過ぎないと考えられていた。 300年頃、「ブルグント人の島」の意味する名前を持つボーンホルム島から突如人々の姿が消えた。ほとんどの共同墓地が使われなくなり、少数のいくつかの墓だけが使われるようになった。 369年、ローマ皇帝ウァレンティニアヌス1世は、他のゲルマン民族(アラマン部族同盟)との戦争で、ブルグント人の支援を受けた。6世紀中頃の ゴート族の歴史家ヨルダネスによると、この時代のブルグント人はヴィスワ川流域に住んでいたらしい。アラマン部族同盟との戦争後、しばらくした後、ブルグント人はゲピード族の王ファスティダ(Fastida)に敗北し、ほぼ全滅した。 その約40年後、ブルグント人は再び登場する。406年から408年にかけて、西ローマ帝国の将軍スティリコが西ゴート族のアラリック1世との戦いのための兵を引いたのを機に、北の部族がライン川を越えてローマン帝国の領域に侵入した(ゲルマン民族の大移動)。その中にはアラン人、ヴァンダル族、スエビ族、そしてブルグント人がいた。ブルグント人は西方に移住してライン谷に定住した。
※この「ブルグント人の起源」の解説は、「ブルグント人」の解説の一部です。
「ブルグント人の起源」を含む「ブルグント人」の記事については、「ブルグント人」の概要を参照ください。
- ブルグント人の起源のページへのリンク