フルベ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 21:17 UTC 版)
奴隷交易の増加は、サハラ交易を支配するベルベル人や、商人と結託したイスラーム王朝に対する反感を強めた。西アフリカの遊牧民のフルベ人は18世紀から既存のイスラーム勢力に対するジハードを起こした。ウスマン・ダン・フォディオは1804年にソコト帝国を建国し、その他にもフルベは1818年にマシナ帝国、19世紀中頃にトゥクロール帝国を建国した。それまでのサブサハラでは異教の国家がイスラーム化するという経過をたどっていたが、フルベ人は建国からイスラームに基礎を置いた。政治指導者はイマーム、カリフ、シェイクなどの称号を使い、聖戦はウラマーによって指導された。 ソコト帝国をはじめとするフルベ人は、伝統的なイスラーム勢力を「混乱したイスラーム」と呼んでジハードを行った。フルベ人が敵対したのはモロッコやハウサの諸国家、トゥンブクトゥやジェンネなどの都市、カーディリア派のスーフィズム教団などの勢力があり、伝統的にイスラームとされてきた地域や集団が含まれている。これはジハードの観点からは矛盾があるとされ、議論も行われた。当時はサハラ交易の奴隷増加はサハラ南縁の住民にとって危機的な状況となっており、生活を守るためにジハードと土着のイスラーム国家の建国が行われたという事情があった。しかし、ジハード後に任命されたエミールはほとんどがフルベ人であり、ハウサ諸王国時代に批判されていた家畜税や奴隷制はソコト建国後も廃止されなかった。そのためフルベ人による建国がイスラームの名を借りた権力奪取だという批判も起きた。この批判は、「混乱したイスラーム」がいまだに残っているという認識につながり、21世紀以降にボコ・ハラムなどが活動の根拠にしている(後述)。
※この「フルベ」の解説は、「サハラ交易」の解説の一部です。
「フルベ」を含む「サハラ交易」の記事については、「サハラ交易」の概要を参照ください。
フルベ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 08:10 UTC 版)
「世界樹の迷宮III 星海の来訪者」の記事における「フルベ」の解説
こちらもⅡのカースメーカーの様な姿をした少女。エトリアの伝説的な二人組(レンとツスクル)に憧れているらしい。
※この「フルベ」の解説は、「世界樹の迷宮III 星海の来訪者」の解説の一部です。
「フルベ」を含む「世界樹の迷宮III 星海の来訪者」の記事については、「世界樹の迷宮III 星海の来訪者」の概要を参照ください。
フルベと同じ種類の言葉
- フルベのページへのリンク