パラドックスの内容
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「オルバースのパラドックス」の記事における「パラドックスの内容」の解説
ガリレオが始めに見出したように、夜空を望遠鏡で観察すれば、肉眼では見ることのできなかった暗い星を多数見ることができ、星の世界は遥か彼方まで広がっているように思える。 一方、こうした星は空を覆い尽くすことなく、その間には遥かに広い暗闇が広がっているのもわかる。 16世紀ごろより20世紀の初めまで天文学者は宇宙が無限に広がっているのではないかと想定してきたが、そのときこうした広大な宇宙では全体が太陽面のように輝くはずであり、夜空の暗闇という観測事実と相容れない謎であることを示したのがオルバースのパラドックスであった。 もし宇宙が無限に広く一様に星が分布しているのなら、地上から空を見上げた視線は、やがていずれか星の表面にほぼ間違いなくたどり着くだろう。 この直観は次のような考察からより明確となる。 ある物が視野の中に占める見かけの面積は、その物が遠ざかるほど小さくなり、倍の距離となればその見かけの面積は1/4となる。 このとき見かけの面積あたりの明るさは同じであり、明るさもまた1/4となる。 この事情は恒星でも同じである。 例えば、もし地球から100光年の距離にある星が倍の200光年に遠ざかれば、見かけの面積と明るさは1/4となる。 その一方で、距離100光年付近(例えば前後1光年)にある星の数と、その倍、200光年の同じ幅にある星の数とを比べると、後者はほぼ4倍の体積を考えていることになり、星が宇宙にほぼ一様に分布しているなら、後者にはほぼ4倍の数の星が含まれているだろうと考えることができる。 さらに星の大きさも場所によらないと考えれば、結局、100光年付近の星すべての見かけの面積の総和と、200光年付近の星すべての見かけの面積の総和は、ほとんど変わらないと期待することができる。 このことは、どんな距離を考えても一般に成り立つ。 すなわち、n 倍の距離を考えれば、星の見かけの面積は 1/n2 倍となる一方で、考えている領域の大きさは n2 倍となるので、結局、星全体の見かけの面積は距離に依存しない(右上の模式図を参照)。 よって、宇宙が十分大きければ、よほど星が特殊な配置をしていない限り、より遠い距離までの星を考えるとともに空は星の表面によって一定の割合で埋め尽くされていかなければならないことになる。 このとき、見かけの面積あたりの明るさは距離によらないので、恒星がどれも太陽と同じ程度に輝いているとすれば、空は太陽表面のようなまばゆい光で覆い尽くされる。 この明るさは、我々が太陽表面まで降りていったときの明るさと考えることもできる。 結局、宇宙の構造が場所によらない、すなわち宇宙の恒星の分布がほぼ一様で、光度も大きさも平均的に場所によらないという妥当と思われた仮定をおくと、無限もしくは十分に大きな宇宙では、実際の夜空の背景がなぜ暗いのか説明が必要な事柄となる。 この議論はまた、しばしば平坦な森の中でみる木々の幹に例えられる。 森は2次元に広がるので、森の中の観測点からある距離にある木々の数は距離に比例して(距離の1乗で)増えるが、その幹の見かけの幅も反比例(逆1乗)で小さくなり、各距離での幅の合計は距離によらないと期待される。 小さな林ならば、木々の幹の隙間から向こう側の風景を望むことができるが、木々が偏りなく分布しているのなら、ある程度大きな森では周囲は様々な距離にある木々の幹で覆いつくされ、森の向こうを見通すことができない。
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パラドックスの内容
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「クラメールのパラドックス」の記事における「パラドックスの内容」の解説
例えば、2点を通る一次曲線(直線)は一意に定まり、5点を通る二次曲線は一意に定まる。そこで、一般に n 次曲線は何個の点を与えれば一意に定まるか、という問題が考えられる。少しの考察からは、矛盾する次のふたつの結論が得られる。 平面代数曲線は Ayn + (B + Cx) yn-1 + (D + Ex + Fx2) yn-2 + (G + Hx + Jx2 + Kx3) yn-3 + etc. = 0 と書けるため、係数をすべて求めるためには n (n + 3)/2 個の方程式が必要となる。つまり、n (n + 3)/2 個の点が n 次の平面代数曲線を一意に決定するであろう。 二つの n 次の平面代数曲線において、n2 回交わることができるものが存在する。つまり、これらの n2 個の点を通る曲線は少なくとも2本存在する。したがって、これら一方の曲線を決定するためには、これらの n2 個の点では十分でなく、それより多くの点が必要であろう。 例えば、任意の3次平面代数曲線を一意に決定するためには、前者に従えば9個の点で十分であるが、後者に従えば9個より多くの点を必要とする曲線が存在する。 現代からすれば、これはパラドックスではなく、別の条件が必要となることが容易にわかる。数学史上においては、レオンハルト・オイラーによって解決された。
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パラドックスの内容
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「サンクトペテルブルクのパラドックス」の記事における「パラドックスの内容」の解説
偏りのないコインを表が出るまで投げ続け、表が出たときに、賞金をもらえるゲームがあるとする。もらえる賞金は、1回目に表が出たら1円、1回目は裏が出て2回目に表が出たら倍の2円、2回目まで裏が出ていて3回目に初めて表が出たらそのまた倍の4円、3回目まで裏が出ていて4回目に初めて表が出たらそのまた倍の8円、というふうに倍々で増える賞金がもらえるというゲームである。 つまり表が初めて出るまでに投げた回数を n とすると、2n−1円もらえるのである。10回目に初めて表が出れば512円、20回目に初めて表が出れば52万4288円、30回目に初めて表が出れば5億3687万0912円がもらえる。ここで、このゲームには参加費(=賭け金)が必要であるとしたら、参加費の金額が何円までなら払っても損ではないと言えるだろうか。 数学的には、この種の問題では、賞金の期待値を算出し、参加費がその期待値以下であれば参加者は損しないと判断する。しかし、この問題における賞金の期待値を計算してみると、その数値は無限大に発散してしまうのである。すなわち期待値を W とすると、 W = ∑ k = 1 ∞ ( 1 2 k ⋅ 2 k − 1 ) = 1 2 + 1 2 + 1 2 + 1 2 + ⋯ = ∞ {\displaystyle W=\sum _{k=1}^{\infty }\left({\frac {1}{2^{k}}}\cdot 2^{k-1}\right)={\frac {1}{2}}+{\frac {1}{2}}+{\frac {1}{2}}+{\frac {1}{2}}+\cdots =\infty } となる。したがって、期待値によって判断するならば、参加費(=賭け金)がいくら大金であっても参加すべきであると結論になる。 ところが実際には、このゲームでは 1/2 の確率で1円、1/4 の確率で2円、1/1024 の確率で512円の賞金が得られるに過ぎない(賞金が512円以下にとどまる確率が1023/1024)。したがって、そんなに得であるはずがないことは直観的に分かる。これが、この問題がパラドックスとされる所以である。
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