ハッカーになる
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 14:10 UTC 版)
「リチャード・グリーンブラット」の記事における「ハッカーになる」の解説
1962年秋、マサチューセッツ工科大学 (MIT) に入学。学部学生としての2学期目にハッカー文化で有名なMITのテック鉄道模型クラブ(英語版) (TRMC) に入会。そのころピーター・サムソン(英語版)は、クラブの所有する多数の鉄道模型の複雑な時刻表を作る仕事をさせるため、IBM 709 用のFORTRANプログラムを書いた。グリーンブラットは当時存在しなかったPDP-1用FORTRANコンパイラを実装することを自らに課された責務のように感じた。しかし、コンパイラをデバッグするためのCPU時間が全くなく、さらに言えばそれをコンピュータ用に打ち込む時間もなかった。数年後、TMRCメンバーのスティーブン・パイナーが作ったPDP-4用FORTRANコンパイラからもアイデアを取り入れ、PDP-1用コンパイラの要素が完成。しかし、FORTRANコンパイラのニーズはそのころには薄れており、このコンパイラはそれ以上改良されなかった。そのようなTMRCでの経験とDECに勤務していてPDP-6の設計に関わっていたアラン・コトックの影響もあり、グリーンブラットはAIラボへと惹き付けられていき、そこでプログラミングの才能を発揮して「ハッカーの中のハッカー」と呼ばれるようになる。『計算機プログラムの構造と解釈』の著者ジェラルド・ジェイ・サスマンとハロルド・エイブルソン(英語版)は、グリーンブラットとゴスパーの下で見習いプログラマとなったことを幸運だったと述べている。 実際、PDPでのプログラミングに余りにも時間を費やしたため、MITを落第することになり、一時期 Charles Adams Associates に就職。約6カ月後に人工知能研究所にプログラマとして雇われた。
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