ニーチェの影響
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ロスコの新しいビジョンは、現代人の精神性へ呼びかけ、創造神話に要求されるものへ対応することだった。この期間のロスコにおける哲学的な影響はフリードリヒ・ニーチェの『悲劇の誕生』であった。ニーチェはギリシア悲劇が限りある人生への恐怖から救うことに役立っていると主張した。この時から、ロスコにとって現代美術におけるトピックの探求は目標ではなくなった。そして、この時から彼の芸術の目標は現代人の精神的な空虚を和らげるという目標を持った。ロスコはこの空虚は現代に神話が不足していることが起因していると考えた、これは、ニーチェによると「子どもの心の成長と-成熟した人間の人生との戦い」において対処出来るとされていた。ロスコは彼の芸術により神話的イメージやシンボル、儀式などで無意識のエネルギーが解放される可能性について信じていた。彼は自らを「神話の創造者」と考え「陽気な悲劇は私の芸術の唯一の源である」と語った。 独自のスタイルを確立するのは1940年代の末ごろである。クレメント・グリーンバーグらの高い評価により、一躍有名になった。そしてニューヨークのシーグラム・ビルディングにあるフォーシーズンズ・レストランの壁画を依頼され、約40枚の連作(シーグラム壁画)を制作した。しかし友人に譲った作品が売りに出されるという事件をきっかけに、自分の作品が世間に理解されていないと考えるようになり、前渡しされた購入金を全額返却して納入を拒否した。その後、いくつかの美術館が作品の買い取りを申し出たが、ロスコが全部を一つの空間で展示することにこだわったため難航し、結局彼の死後、世界の3つの美術館(ロンドンのテート・モダン(テート・ギャラリー)、ワシントンD.C.のフィリップス・コレクション、千葉県佐倉市のDIC川村記念美術館)にわかれて収蔵された。 DIC川村記念美術館には、マーク・ロスコ専用の 「ロスコ・ルーム」 が用意されており、7点のシーグラム壁画による静謐な空間を体験することができる。 晩年には、ヒューストンの美術館メニル・コレクションの近郊にある「ロスコ・チャペル」の壁画に取り組んだ。 彼は壁に自分の作品だけを展示し他人の絵を並べてほしくないと望んだ。 1970年に病気(大動脈瘤)や私生活上のトラブルなどの理由で自殺。66歳であった。
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