フリードリヒ・ニーチェ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/10 16:35 UTC 版)
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(独: Friedrich Wilhelm Nietzsche, 1844年10月15日 - 1900年8月25日)は、ドイツ・プロイセン王国出身の思想家であり古典文献学者。ニイチェと表記する場合も多い。
注釈
- ^ 命日に関しては、他にも様々な主張がある。
- ^ 卒業生には、ゴットフリート・ライプニッツ、ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ、レオポルト・フォン・ランケ、シュレーゲル兄弟などがいる。
- ^ ただし、普仏戦争(1870年 - 1871年)中の一時期だけはプロイセン軍に従軍し、トラウマにもなる経験をしたうえにジフテリアや赤痢を患ったりもしている。
- ^ 1919年にノーベル文学賞を受賞した作家。処女作『プロメテウスとエピメテウス』はしばしば『ツァラトゥストラ』からの影響が指摘される。
- ^ ニーチェはケラーの教養小説『緑のハインリヒ』を、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ作『ヴィルヘルム・マイスター』やアーダルベルト・シュティフター作『晩夏』とともにドイツ文学の中で最も高く評価している。
- ^ ニーチェは1886年に『善悪の彼岸』をテーヌに寄贈し、後日テーヌから好意的な礼状を受け取っている。
- ^ 『道徳の系譜』を寄贈されたことがニーチェとの交流の契機となった。
- ^ キェルケゴールはニーチェが著述活動を始める前の1855年に亡くなっているうえ、ニーチェはこの後すぐに発狂してしまったため、ともに「実存主義の始祖」として知られる2人は互いの思想に触れることがなかったと長らく信じられてきた。しかし、その後の研究の結果、キェルケゴールの思想を解説・批評した二次資料のいくつかをニーチェが読んでいたことが明らかになっている。
- ^ ニーチェ自身がいかに神聖視されたくないかを『この人を見よ』の中で語っていることに注意する必要がある。「私は聖者にはなりたくない。道化のほうがまだましだ」
- ^
- ^ 引用者訳注:ニーチェの思想を歪曲して利用したらしい反ユダヤ主義文書。
- ^ 元は『偶像の黄昏』の校正稿に入っていたものをニーチェが自分で抜き出した原稿[24]。傍点は引用文献のまま。記号の意味については引用文献を参照のこと。
- ^ エリーザベト・ニーチェが捏造した『力への意志』では734番に充てられている。734番はニーチェが『偶像の黄昏』校正稿から抜いた原稿と同じ内容である。『力への意志』日本語訳では次のように書かれている。
人間愛のいま一つの命令 。――子を産むことが一つの犯罪となりかねない場合がある。強度の慢性疾患や精神薄弱症にかかっている者の場合である。そのときにはどうしたらいいのか?(中略) 社会は、生の大受託者として、生自身に対して 生のあらゆる失敗の責任を負うべきであり、――またそれを贖うべきである、したがってそれを防止すべき である。しかもその上、血統、地位、教育程度を顧慮することなく、最も冷酷な強制処置、自由の剥奪、 事情によっては去勢をも用意しておくことが許されている。(後略)—フリードリッヒ・ニーチェ、フリードリッヒ・ニーチェ 著、原佑 訳、信太正三・原佑・吉沢伝三郎 編『ニーチェ全集 権力への意志 (下) すべての価値の価値転換の試み』理想社、1962年、216-217頁。傍点は原文のまま。 - ^ 第18週、90回、2022年8月12日放送。レストラン名はイタリア語 “alla fontana“ (「泉」、「泉にて」、「泉へ」)。箴言の題は、“Unverzagt“ (「意気盛ん」、「気後れせずに」、「臆することなく」)。箴言は4行であるが、番組ではその前半部がレストランのオーナー自身によって「汝の立つ処深く掘れ、/ そこに必ず泉あり」と紹介されている。なお、原文は „Wo du stehst, grab tief hinein! / Drunten ist die Quelle!“ Die fröhliche Wissenschaft (projekt-gutenberg.org) 2022年8月15日閲覧。信太正三訳(『ニーチェ全集』8 理想社1980年、20頁)では「ひるまずに」と題して「お前の立つところを 深く掘り下げよ! / その下に 泉がある!」と訳されている。その後には、「「下はいつも――地獄だ!」、と叫ぶのは、/ 黒衣の隠者流に まかせよう。」と続く。
出典
- ^ a b Hecker, Hellmuth: "Nietzsches Staatsangehörigkeit als Rechtsfrage", Neue Juristische Wochenschrift, Jg. 40, 1987, nr. 23, pp. 1388–91.
- ^ a b His, Eduard: "Friedrich Nietzsches Heimatlosigkeit", Basler Zeitschrift für Geschichte und Altertumskunde, vol. 40, 1941, pp. 159-186
- ^ 『現代独和辞典』三修社、1992年、第1354版による。
- ^ 『人と思想22ニーチェ』第26刷p47-48
- ^ 『ニーチェ全集 第14巻 この人を見よ・自伝集』理想社 第一版第五刷、pp.166-168
- ^ 『人と思想22ニーチェ』第26刷p50-51
- ^ 『ニーチェ全集 第14巻 この人を見よ・自伝集』理想社 第一版第五刷、pp.170-171
- ^ 『ニーチェ全集 第14巻 この人を見よ・自伝集』理想社 第一版第五刷、pp.166-168,184-185,198
- ^ 『人と思想22ニーチェ』第26刷p52
- ^ 『人と思想22ニーチェ』第26刷p63 - 64
- ^ 『人と思想22 ニーチェ』第26刷p108
- ^ a b c 小坂国継,岡部英男 編著 2005, p. 207.
- ^ 小坂国継,岡部英男 編著 2005, p. 208.
- ^ a b 小坂国継,岡部英男 編著 2005, p. 210.
- ^ 川鍋征行「ニーチェの仏教理解」『比較思想研究 』第8巻 pp.44-46
- ^ 塚越敏訳、書簡集1、ニーチェ全集第一五巻。二九〇頁。
- ^ 川原栄峰訳『この人をみよ』ニーチェ全集第一四巻、理想社、三〇頁。
- ^ 原佑 1980, pp. 165–166
- ^ 原佑 1980, pp. 162–163
- ^ 原佑 1980, pp. 164
- ^ 原佑訳「権力への意志」ニーチェ全集一一巻、理想社、一五四。
- ^ 信太正三訳『悦ばしき知識』ニーチェ全集第八巻、理想社、第三、一〇八。
- ^ Sämtliceh Werke Kritische Studienausgabe. Band 10, Herausgegeben von Giorgio Colli und Maggino Montinari. p.109
- ^ フリードリッヒ・ニーチェ 著、氷上英廣 訳『ニーチェ全集 第II期第12巻 遺された断想 (1888年5月-1889年初頭)』白水社、1985年8月30日、125頁。
- ^ ハンス・キッペンベルク『宗教史の発見 宗教学と近代』158頁/166頁-169頁(月本昭男、久保田浩、渡辺学共訳 岩波書店、2005年)
- ^ 井戸田総一郎「ニーチェーーピアノと文体」〔Brunnen. Juni 2023, Nr.530 Ikubundo(郁文堂)3-5頁、引用は3頁。〕
- ^ 渡邊二郎「ニーチェ全集の歴史」渡邊二郎・西尾幹二編『ニーチェを知る事典 その深淵と多面的世界』ちくま学芸文庫、2013年。三島憲一「さまざまなニーチェ全集について」『ニーチェ事典』弘文堂、1995年。
固有名詞の分類
思想家 | アレクサンドリアのフィロン フランツ・ファノン フリードリヒ・ニーチェ ゼノン ハインリッヒ・ハイネ |
ドイツの哲学者 | リュトガー・ザフランスキー フーゴ・ベルクマン フリードリヒ・ニーチェ フリードリヒ・エンゲルス ヨーゼフ・デルボラフ |
文献学者 | 松原秀一 ガブリエル・ターヴィル=ピーター フリードリヒ・ニーチェ フランシス・ジェームズ・チャイルド アレクサンドル・アファナーシェフ |
- フリードリヒ・ニーチェのページへのリンク