ドン・ニコルズと日本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/10 15:54 UTC 版)
「シャドウ・レーシング・カーズ」の記事における「ドン・ニコルズと日本」の解説
チーム創設者のドン・ニコルズ (Don Nichols, 1924年 - 2017年) は太平洋戦争後にアメリカ軍の軍人として来日。朝鮮戦争に従軍したのち、共産主義国の工作活動を水際で食い止める隠密活動に従事した。退役後も日本に留まり、1960年代の日本の自動車レース黎明期に海外とのパイプ役として立ち回り、「ドンニコ」の愛称で親しまれた。 NASCARの交渉人として富士スピードウェイ建設計画の立ち上げに関わり、コース設計のアドバイザーとしてスターリング・モスを招聘。サーキットの開業時にはジム・クラークの来日・試走を斡旋した。 また、レーシングカーやエンジン、タイヤ、オイルなどを輸入する代理人ビジネスで財を成した。1968年日本グランプリで優勝した日産・R381に搭載されたシボレーエンジンは、ニコルズの仲介によりムーン社がチューニングを施した。酒井正のマシンとして知られたデイトナ・コブラ(シャシーNo.CSX2300)も輸入している。 レーサーとしてもいすゞ自動車のワークスドライバーとして、1963年の第1回日本グランプリにベレルで出場し、同年の第1回ストックカーレースでは優勝している。1967年の第4回日本グランプリでは「ロドニー・クラーク」名義でローラ・T70に乗り出走した。 ニコルズには、シャドウのメインスポンサーを探す際に、『フォーチュン500』に載っている企業のAからアルファベット順に片っ端から電話をかけ、UOP石油に辿りついたという逸話がある。 2017年8月、92歳で永眠。
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