ベレル
ベレルとは、鈴を意味するbellに、数字の50を表すelを組み合わせたもので、いすゞ(五十鈴)となる造語をモデル名とした。それは、社名の由来でもある伊勢の五十鈴川からきている。初代だけで終わったクルマで、1961年10月発表、翌年4月から販売を開始した。
6人乗り4ドアセダンで、ホイールベース2530mm、全長4485mm、全幅1690mm、全高1493mm。エンジンはガソリンが1.5Lと2L、そして2L自然噴気ディーゼルがあった。いずれも直列4気筒OHV。スタイリングは3角形のテールランプを配し、メーカーがコーダ・トロンカと称した、垂直に切り落としたようなテールが個性的だった。車種はガソリンがスタンダードとデラックス、ディーゼルはノングレード。2Lのデラックス・4速MT(コラム)車の東京店頭渡し価格は99万8000円。
62年10月に2000スペシャル・デラックスを追加し、63年4月にはディーゼルの2000スペシャル・デラックスを設定した。63年10月と64年10月、そして65年10月にマイナーチェンジ。最後のマイナーチェンジではヘッドランプを丸形の縦4灯とし、ミッションを4速から3速フルシンクロに換装したあと、67年5月をもって生産を中止した。総生産台数は3万7234台。
ベレル
いすゞ・ベレル
(ベレル から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/13 08:56 UTC 版)
ベレル(BELLEL)は、いすゞ自動車が1962年(昭和37年)から1967年(昭和42年)まで製造していた乗用車である。
- ^ デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車 第93号1ページより。
- ^ ただし、高級車としてはいすゞ・ステーツマン・デ・ビルが間接上の後継となる。
- ^ 前席をベンチシートの3人がけとすることで、中型タクシーの要件である6人乗りを満たすもの。中型タクシーは小型に比べて初乗り・賃走料金ともに高額で、経費に対する利益率が高い。
- ^ これ以前にも、1959年(昭和34年)10月からトヨペット・クラウンのディーゼル版(CS20型)が少量生産されていた。
- ^ ヒルマン・ミンクスはイギリス製の部品を組み立てるノックダウン生産だったため部品の品質管理は不要だった
- ^ ランチア・フラミニア(1957 - 1970)、オースチン・A99(1959 - 1961)/A110(1961 - 1968)、プジョー・404(1960 - 1991)。小型大衆車を含むBMC・"ファリーナ"・サルーンも参照。
- ^ 両車ともに横並びの4灯で、グロリアはマイナーチェンジでBLSIP-3型となった1960年、クラウンは40系になった1962年から採用。
- ^ ボンネット(エンジンフード)とトランクリッド(蓋)に丸みがなく、ボディの先端から後端まで直線的(平面的)なボディラインを持つデザインのこと。
- ^ デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車 第93号1ページより。
- 1 いすゞ・ベレルとは
- 2 いすゞ・ベレルの概要
- 3 モータースポーツ
- 4 関連項目
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