セルジューク帝国とは? わかりやすく解説

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大セルジューク朝

(セルジューク帝国 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/20 15:02 UTC 版)

大セルジューク朝Seljuk Empireペルシア語: آل سلجوق‎)またはGreat Seljuq Empire[1][注 1])は、オグズキニク英語版部族から始まる中世盛期トルコ系ペルシャ人英語版[4]スンナ派帝国である[5]。最大で大セルジューク朝は東は西アナトリア半島レバントからヒンドゥークシュ山脈に至り南は中央アジアからペルシア湾に至る広大な地域を支配した。




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セルジューク帝国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 08:40 UTC 版)

セルジューク朝」の記事における「セルジューク帝国」の解説

詳細は「セルジューク帝国」および「en:Seljuq Empire」を参照 1063年トゥグリル・ベグ亡くなり、甥のアルプ・アルスラーンスルタン位を継承したアルプ・アルスラーン傅役アタベク)のペルシア人官僚ニザームルムルク宰相ワズィール)として重用し彼のもとで有力な将軍対すイクター徴税)の授与による軍事組織整備や、マムルーク奴隷兵)をもとにした君主直属軍事力拡大はかられ遊牧集団の長から脱却した君主権力の確立目指された。 アルプ・アルスラーン積極的に外征行って領土広げ1071年にはマラズギルトの戦いマンツィケルトの戦い)で東ローマ帝国勝利し皇帝ロマノス4世ディオゲネス捕虜とした。この戦いによって東ローマ帝国アナトリア方面防衛手薄になり、セルジューク王権の強化好まないトゥルクマーンなど多くテュルク系人々アナトリア流入しアナトリアテュルクトルコ)化が進んだ。 翌1072年アルプ・アルスラーンの子マリク・シャーが、イラン東部ケルマーンセルジューク朝アミールとして地方政権立てていた伯父カーヴルト・ベグスルタン位を狙った挑戦破りスルタン位を継承した18歳マリク・シャー全権をほとんど宰相ニザームルムルク委ね君主仕事狩猟だけであるといわれたほどであった大宰相ニザームルムルク補佐受けたマリク・シャー時代に、セルジューク朝支配最大領域広がった西方ではセルジューク朝権威アナトリアシリアヒジャーズに及び、東ではトランスオクシアナまで支配下収めセルジューク朝中央アジアから地中海に及ぶ大帝国へと発展した。しかし、この時期トゥルクマーンの一集団ファーティマ朝から聖地エルサレム占領したことが西ヨーロッパに「トルコ人聖地占拠してキリスト教徒巡礼妨害している」という風評呼び起こし、また東ローマ皇帝アレクシオス1世コムネノスアナトリア領土奪回のためローマ教皇に対して援軍要請したため、1096年第1回十字軍編成されることになる。 版図大きく広げたセルジューク朝支配域の中にセルジューク朝権威認めて服属する小王朝を抱え込み、さらにトゥグリル・ベグ時代から大スルタンよばれるセルジューク家長宗主として、各地セルジューク一族地方政権形成して自立した支配行っていた。このような構造をもつセルジューク朝支配をセルジューク帝国と呼ぶ学者もいる。 セルジューク朝地方政権の中では、トゥグリル・ベグが子を残さず没したときアルプ・アルスラーン戦って敗北したクタルムシュの子スライマーンアナトリアトゥルクマーン統御のためマリク・シャーによって送り込まれ1077年ニカイア首都として建国したルーム・セルジューク朝1077年 - 1308年)が有名である。同じくマリク・シャー期にマリク・シャーの弟トゥトゥシュによりダマスクスシリア・セルジューク朝1085年 - 1117年)が立てられルーム・セルジューク朝抗争した。ケルマーンには、先に触れたカーヴルト・ベグ敗死後も、その子孫ケルマーン・セルジューク朝1041年 - 1184年)として存続するトゥグリル・ベクによって建国されイラク・イランを中心に支配したセルジューク朝の大スルタン政権は、これらのセルジューク朝地方政権区別するために、大セルジューク朝とも呼ばれる

※この「セルジューク帝国」の解説は、「セルジューク朝」の解説の一部です。
「セルジューク帝国」を含む「セルジューク朝」の記事については、「セルジューク朝」の概要を参照ください。

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