ウィキペディア |
アフマド・サンジャル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/03/20 00:33 UTC 版)
アフマド・サンジャル( احمد سنجر Aḥmad Sanjar、معزّ الدنيا والدين أبو الحارث أحمد سنجر بن ملكشاه بن الپ ارسلان بن چغريبك Mu'izz al-Dunyā wa al-Dīn Abū al-Ḥārith Aḥmad Sanjar b. Malik-Shāh b. Alp Arslān b. Chaghrī-Bak: 1086年 - 1157年5月)は、セルジューク朝の第8代スルターン(在位:1118年4月 - 1157年5月)。
- ^ 継嗣が無かったため、大セルジューク朝は事実上崩壊。セルジューク朝のスルターン位は兄のムハンマド・タパルの子孫に継承、争奪されることになった
- ^ 1102年説もある
- ^ 西アジア史2巻、P112
- ^ アフマドの軍事行動の目覚しさから、記録では「世界の主人」と称されて中興の英主にされている。西アジア史2巻、P112
- ^ 遼は1125年に滅亡した
- ^ 耶律大石はカラ・ハン朝を圧迫し、窮したマフムード2世が叔父のアフマドに救援を求めていた
- ^ セルジューク朝の首都・マルヴで略奪を働いた
- ^ 中央アジアで遊牧していた民族で、同時代の史料では「グッズ」とも「グズ」とも呼ばれる
- ^ トゥルクマーンはたびたびアフマド配下のアミールと土地をめぐって抗争した
- ^ 10月説もある
- ^ 西アジア史2巻、P114
- ^ 一説にアフマドの甥だったカラハン朝の君主マフムード2世がスルタンに推戴されたとしているが、彼にはアフマドのような宗主権が無く、アフマドの旧臣であるムアイヤド・アイアパに傀儡にされて1162年に息子ともども殺害されている
- 1 アフマド・サンジャルとは
- 2 アフマド・サンジャルの概要
- 3 参考文献