大セルジューク朝
大セルジューク朝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/21 02:25 UTC 版)
「ルーム・セルジューク朝」の記事における「大セルジューク朝」の解説
ルーム・セルジューク朝が本国である大セルジューク朝から独立を宣言したのは創始者のスライマーン1世、もしくはクルチ・アルスラーン1世と考えられている。ルーム・セルジューク朝は大セルジューク朝の支配権を承認していた。しかし、内政に関しては本国から完全に独立しており、ビザンツとの戦争、外交についても大セルジューク朝のスルターンを経ずに行うことができた。建国期にクタルミシュ、スライマーン1世、クルチ・アルスラーン1世の3名がセルジューク家の人間に敗れて戦死したことはルーム・セルジューク朝の外交方針に大きな影響を与え、クルチ・アルスラーン1世より後の世代の王は大セルジューク朝と争うことは無かった。
※この「大セルジューク朝」の解説は、「ルーム・セルジューク朝」の解説の一部です。
「大セルジューク朝」を含む「ルーム・セルジューク朝」の記事については、「ルーム・セルジューク朝」の概要を参照ください。
- 大セルジューク朝のページへのリンク