アルプ・アルスラーンとは? わかりやすく解説

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アルプ・アルスラーン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/27 00:09 UTC 版)

アルプ・アルスラーンペルシア語:الپ ارسلان Alp Arslān、عضد الدولة ابو شجاع الپ ارسلان محمد بن چغرى بك ابو سليمان داود بن ميكائيل بن سلجوق ‘Azud al-Dawla Abū Shujā‘ Alp Arslān Muḥammad b. Chaghulī Bak Abū Slaymān Dā'ūd b. Mīkā'īl b. Saljūq 、1029年1月20日 - 1072年12月15日)は、セルジューク朝の第2代スルターンである(在位:1064年4月27日 - 1072年12月15日)。トゥグリル・ベクの甥で、トゥグリルとともにホラーサーン以西におけるセルジューク家の勢力確立に貢献した彼の兄弟チャグリー・ベクの息子。長兄にケルマーン・セルジューク朝の始祖となったカーウルドがおり、他の兄弟にスライマーン、ウスマーン、バフラーム・シャーらがいた。王朝の名祖であるセルジュークの曾孫にあたる。「アルプ・アルスラーン(アルスラン)」はテュルク語で「勇猛なるライオン」を意味する名前で、彼の軍事的な武勇や戦闘技術を称えて名づけられた。即位に際しアッバース朝カリフから下された尊称により、「偉大なるスルターン(スルターン)、王朝(ダウラ)の腕、勇敢の父、アルプ・アルスラーン・ムハンマド、信徒たちの司令者(アミール・アル=ムウミニーン)の証言者」(al-Sulṭān al-A‘ẓam‘Azud al-Dawla Abū Shujā‘ Alp Arslān Muḥammad Burhān Amīr al-Mu'minīn)と名乗った。





アルプ・アルスラーン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 18:07 UTC 版)

大セルジューク朝」の記事における「アルプ・アルスラーン」の解説

詳細は「アルプ・アルスラーン」を参照 チャグリー・ベグの息子のアルプ・アルスラーンは、アナトリア半島のほぼ全域併合するアルメニアグルジア1064年加え東ローマ帝国1068年侵攻することで明確にトゥグリル領土拡大させた。1071年マラズギルトの戦いでのアルスラーン決定的な勝利は、事実上トルコアナトリア半島侵攻に対して東ローマ帝国抵抗中立化させた。グルジアイベリア州(英語版)を防衛することでアルプ・アルスラーンの侵攻から奪還できたが、アナトリア半島から東ローマ帝国撤退することでグルジアセルジューク族と更に直接接触することになった1073年ガンジャやドヴィン、ドミニシのセルジュークアミールは、成功裏カルス要塞奪取したジョージ2世英語版)との戦いでグルジア侵攻し敗れた英語版)。セルジュークアミールアフマドによる報復攻撃は、クヴェリスツィケでグルジア破った忠誠を誓うアタベクとしてアルプ・アルスラーンは嘗て東ローマ帝国アナトリア半島からの土地分割する権限トルコ人将軍与えた2年以内トルコ人数多のベグリク(現在のトルコベイリク)の下でエーゲ海まで支配伸ばした東北アナトリア半島のサルトゥーク朝(英語版)、東アナトリア半島のシャーアルメンス(英語版)とメンギュジェク朝(英語版)、東南アナトリア半島アルトゥク朝中央アナトリア半島ダニシュメンド朝、西アナトリア半島の(後に中央アナトリア半島移動するルーム・セルジューク朝スライマーンのベグリク)、イズミルスミルナ)のベイリク)。

※この「アルプ・アルスラーン」の解説は、「大セルジューク朝」の解説の一部です。
「アルプ・アルスラーン」を含む「大セルジューク朝」の記事については、「大セルジューク朝」の概要を参照ください。

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