ウィキペディア |
アミール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/06/26 07:20 UTC 版)
(アミール=アル=ムウミニーン から転送)
アミール(アラビア語:أمير (amīr))は、イスラム世界で用いられる称号である。君主号のひとつとしても用いられる。
目次 |
概要
アミールは、アラビア語で「司令官」「総督」を意味する語で、転じてイスラム世界で王族、貴人の称号となったものである。英語表記Emir からエミールと書かれることもある。元来はムスリム集団の長の称号として用いられ、カリフは「信徒たちの長」を意味するアミール・アル=ムウミニーン(Amīr al-Mu'minīn)とも称し、正統カリフ時代には遠征軍の長、征服地の総督がアミールと称した。
歴史
アッバース朝時代の10世紀前半にアミールの中の有力な者が大アミール(Amīr al-Umarā)の称号を授与されるようになり、ワジール(宰相)とハージブ(侍従)を統括してカリフに代わって権力を掌握した。大アミールの称号はのちにブワイフ朝に世襲される。ブワイフ朝を滅ぼしたセルジューク朝は大アミールに代わってスルタンの称号を受け、アミールの称号はマムルークを統括し、時に地方総督となる将軍クラスの軍人の称号となった。
一方、アラビア半島のアラブ人や中央アジアのテュルク人の間ではアミールの称号が部族の長の称号として広く用いられるようになり、ブハラ・ハン国の末期の君主やアフガニスタンのターリバーン政権の長(ムハンマド・オマル師)がアミールの称号を名乗っていた。アフガニスタンのバーラクザイ朝のドースト・ムハンマド・ハーンやターリバーン政権のムハンマド・オマル師は、上述のアミール・アル=ムウミニーンを名乗ったことで知られているが、特にムハンマド・オマル師の場合ウマル・イブン=ハッターブ以来カリフの主要な称号だったこのアミール・アル=ムウミニーンを名乗ったことで、カリフを僭称する冒涜的行為であると各国のスンナ派市民から甚だしい非難を浴びていた。
イベリア半島や北アフリカ(マグリブ)、西アフリカを支配したムラービト朝においてはアッバース朝の権威を認めながらもアミール・アル=ムウミニーン(信徒たちの長)と類似した「ムスリムたちの長」を意味するアミール・アル=ムスリミーンを用い、その後ムラービト朝に対して反乱を起こしたムワッヒド朝は自らをカリフになぞらえてアミール・アル=ムウミニーンを用いた。
モンゴル帝国においてはチンギス一門に譜代の家臣として仕え、帝国や帝国を形成する諸ウルスの政策決定に与る幹部武将をモンゴル語でネケル(nökör)と呼んだが、これをペルシア語史料ではアミール・イ・ブスルグ(Amīr-i buzurg)や省略形で単にアミールと表記している。当時のモンゴル語では、チンギス・ハン王家に関わる役職や事柄には語頭に「大」を付けて他の一般的な事柄とは区別していた。ペルシア語文献ではこれにあたる単語を上記のブズルグ(buzurg)やアラビア語のアアザム(a'a ẓam)、ムウタバル(Mu'tabar)などの単語で表した。ペルシア語のこのアミール・イ・ブスルグを語義通りに「偉大なるアミール」や普通のアミールと解釈してしまい、単なる武人の長を指すアミールと混同してしまうと、モンゴル帝国やその後継政権の政権構造の理解を妨げるので注意が必要である。
モンゴル帝国に参与していた諸部族の首長たちは、モンゴル語やテュルク語ではノヤン(noyan)やベク(bek/beg)と称していたが、これのアラビア語・ペルシア語での訳語がアミールであった。いわゆるチンギス・ハンの千戸体制において、十戸から万戸までの部隊を各々統括していた隊長たちがベクでありその訳語であるアミールで呼ばれていた。すなわちペルシア語では、これら十戸長をアミール・イ・ダハ(Amīr-i dahah)、百戸長をアミール・イ・サダ(Amīr-i ṣadah)、千戸長をアミール・イ・ハザーラ(Amīr-i hazārah)、複数の千戸を統括する万戸長をアミール・イ・トゥーマーン(Amīr-i tūmān)といった具合に呼んでいた。ティムール朝を開いたチャガタイ・ウルスのバルラス部の首長であるティムールは「アミール・ティームール・クールガーン」などと称されるが、彼の場合もまたこの種のモンゴル帝国の制度的意味の上に立脚したアミールである。
現代
現在では、クウェート、カタール、アラブ首長国連邦の各構成国の君主がアミールを称号としており、首長と訳される。かつては土侯とも訳されたが侮蔑的であるとして使われなくなった。また中国語では「酋長」と訳されている。バーレーンの国王も2002年まではアミールを名乗っていた。アミールが支配する国は「首長国」(英語では"Emirate")と訳されている。
影響
以上のようにアミールとは基本的にイスラーム社会、あるいはイスラーム社会を包摂した世界における軍司令官などの呼称であるが、イスラーム世界から一定の影響を受けたヨーロッパ世界でも、アミールに由来する語彙の存在が認められる。例えば、英語で海軍の提督や将官(狭義には海軍大将)を意味するAdmiral(アドミラル)は、アラビア語で「海の司令官」を意味するアミール・ル・バハルに由来する。
カリフ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/04/17 15:12 UTC 版)
(アミール=アル=ムウミニーン から転送)
| イスラム教 |
| 教義と信仰 |
|
アッラーフ · イスラーム |
| 指導者 |
|
ムハンマド |
| 法と規範 |
|
スンナ · ハディース |
| 金融・経済・財政 |
|
ハラージュ |
| 歴史的転換と潮流 |
|
ウンマ · ハワーリジュ派 |
| 秀逸な記事 |
|
ムハンマド・アリー |
| 良質な記事 |
|
ムハンマド・アリー・ジンナー |
| ポータル・イスラーム |
カリフ(英語: Caliph)あるいはハリーファ(アラビア語: خليفة khalīfa) は、預言者ムハンマド亡き後のイスラーム共同体、イスラーム国家の指導者、最高権威者の称号である。原義は「代理人」である。
カリフはあくまで預言者の代理人に過ぎないため、イスラームの教義を左右する宗教的権限やクルアーン(コーラン)を独断的に解釈して立法する権限を持たず、かわりにこれらはウラマーたちの合意によって補われ、ただイスラーム共同体の行政を統括し、信徒にイスラームの義務を遵守させる役割しか持たない。
歴史
西暦632年にムハンマドが死去した後、イスラーム共同体の指導者としてアブー=バクルが選出され「神の使徒の代理人」(ハリーファ・ラスール・アッラーフ)を称したことに始まる。2代目のカリフとなったウマルは「信徒たちの長」(アミール・アル=ムウミニーン)という称号を採用し、カリフの称号とともに用いられるようになった。
その後、ウスマーン、アリーに受け継がれ、ウマイヤ朝、アッバース朝に世襲されてゆく過程でハワーリジュ派、シーア派などがカリフの権威を否定して分派し、従うのはスンナ派のみになった。その後10世紀にアッバース朝のカリフがアミールに政権を委ねるようになるとカリフは実権を失って、アミールやスルタンの支配権を承認し代わりに庇護を受け入れるだけの権威に失墜した。さらにファーティマ朝、後ウマイヤ朝もカリフを称するようになって、スンナ派全体に影響力を及ぼすことさえ出来なくなった。1258年にはモンゴル帝国によってアッバース朝のカリフが見せしめとして処刑され、アッバース朝は滅亡したものの、マムルーク朝は生き残ったアッバース家の者を首都カイロに迎え新たにカリフとして擁立し、外来者であるマムルーク出身のスルタンに支配の正当性を与える存在として存続させた。1517年、マムルーク朝がオスマン帝国に滅ぼされると、カリフは廃位された。
オスマン朝は当初、カリフ位の権威に頼らずとも実力をもってスンナ派イスラム世界の盟主として振舞うことができたが、18世紀の末頃から19世紀にかけて、ロシアなどの周辺諸国に対する軍事的劣勢が明らかになると、オスマン帝国内外のスンナ派ムスリムに影響を及ぼすために、カリフの権威が必要とされるようになった。そこで、16世紀初頭にオスマン帝国のスルタンはアッバース家最後のカリフからカリフ権の禅譲を受け、スルタンとカリフを兼ね備えた君主であるという伝説が生まれた(スルタン=カリフ制)。しかし、オスマン帝国の滅亡によって、オスマン家のスルタン=カリフは1922年、スルタン制が廃止された。インドや中央アジアのムスリムやクルド人は、精神的支柱としてのカリフ制の存続を強く望んでいたが、ムスタファ・ケマル・アタテュルクによって1924年にカリフ制も廃止された。アブデュルメジト2世がイスラム世界で承認された最後のカリフとなる。
同年、預言者ムハンマドに連なるハーシム家出身であったヒジャーズ王国の王、フサイン・イブン・アリーがカリフを名乗ったが、イスラム世界で承認されることはなかった。
カリフの条件
スンナ派イスラーム法学者によれば、一般にカリフの資格として求められるのは次のような条件である。
- 男性であること
- 自由人であること
- 成年者であること
- 心身両面で健全であること
- 公正であること
- 法的知識を持つこと
- 賢明であること
- イスラームの領土の防衛に勇敢かつ精力的であること
- クライシュ族の男系の子孫であること
ただし現実には、これらの条件のいくつか(成年者であることなど)はしばしば無視された。例えばオスマン帝国はテュルク系の部族によって設立された王朝であるためムハンマドの部族であるクライシュ族の男系であることはありえない。またハワーリジュ派やムータジラ派は「たとえ奴隷や黒人であっても」全てのイスラーム教徒がカリフたりうると主張した。
関連項目
- 歴代カリフ一覧
- ヒラーファト運動