スーパー戦隊関連
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 07:30 UTC 版)
戦隊を執筆するにあたって「最初から最後までアクション一辺倒で何もないような内容になりかねない。それじゃあまりにも書いてもむなしいし(…)子ども心にも残るようなドラマを入れてやろうという思いは常にあった」という。またアクションは「一番苦手」なジャンルであると語る。 メイン初期の戦隊シリーズである『大戦隊ゴーグルファイブ』と『科学戦隊ダイナマン』は試行錯誤で書いていたが、『超電子バイオマン』のシャープなデザインを見て「今回はイケル」と思い、「軌道に乗ったという感じ」でシナリオが書けるようになったと語っている。メインで手掛けた作品の中では、『電撃戦隊チェンジマン』は「自分の中で一番バランスよく書けたという思いがありますね」と語っている。また『超獣戦隊ライブマン』に関しては「追加メンバーの2人を描ききれなかったのは残念でしたね」と語っている。ただし『光戦隊マスクマン』終了直後の書籍(講談社)のインタビューでは「強いて好きな作品を上げるとするなら『マスクマン』でしょうね」と語ったこともある。 メインライターの時代は、取材の意味で「最新のSFとかミステリーなどをチェックするように」していたという。ただし本人がもっとも好きなのは時代小説で、南原幹雄、藤沢周平、中里介山などを愛読してきた。 『秘密戦隊ゴレンジャー』の頃は打ち合わせも無く楽だったという。自身がメインライターとなってからは打ち合わせを導入したが、作品を重ねるごとに会議が長引くようになって「つらかった。やはりなかなか新しいアイデアが出にくくなっていたんでしょう」と回想。また、新ロボット・新武器登場の話を挿入しなければならなくなり、打ち合わせに時間を長く割かれて苦しかったという。メイン最終作の『地球戦隊ファイブマン』の頃は、満身創痍で苦しみながら執筆したという。 『秘密戦隊ゴレンジャー』の野球仮面の回や牛靴仮面の回などコミカルな脚本に関しては、シニカルで生真面目な性格であるところからおふざけに逃げたとも語っている。対して救いようのない悲劇的な終わり方も多いが、これについては「書いた本人が一番後味良くない(…)こうしかならないよなって」と語る。また『超電子バイオマン』のサタンメガスの回など自己犠牲で誰かを救う展開については、「お子様ドラマ」で「やっぱり逃げている」としており、「他の普通ドラマでそんなに簡単に死ぬのか、人のために死ねるのかって」と否定的にも振り返っている。 『バイオマン』以降、シリーズの縦糸が敵側中心になったことについて、主人公にドラマを背負わせるのが好きではなかったからと述べている。また、悪役を作ることは楽な作業で楽しいぐらいだとも語っている。 戦隊執筆最終作である『激走戦隊カーレンジャー』についても楽しく書けたと追想し、「(メイン脚本家の)浦沢義雄さんのあの世界観は自分も嫌いじゃないんですよ」と後に語っている。 『超電子バイオマン』の頃、エジプトに14日間旅をすることになり曽田も楽しみにしていたが、突然イエローフォー役の女優の交代が決まり、その交代劇を挿入することになったため、急遽前後編の脚本を書く羽目になったという。シナリオは何とか間に合い、無事エジプトにも行くことが出来たがかなりキツかったという。また出渕裕は「曽田さんはエジプトがお好きなんですよ」と証言している。
※この「スーパー戦隊関連」の解説は、「曽田博久」の解説の一部です。
「スーパー戦隊関連」を含む「曽田博久」の記事については、「曽田博久」の概要を参照ください。
- スーパー戦隊関連のページへのリンク