スペイン人による征服
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1533年11月15日、最初のスペイン人がクスコに到着した。征服者のフランシスコ・ピサロが公式に到着したのは、1534年3月23日であった。 植民地化の結果は都市の建築を通してみえる。侵略の後、スペイン人植民者は数多くのインカ帝国の建造物、寺院、宮殿を破壊した。彼らは破壊で残った壁を、新都市建設の土台として使用した。そして数多くの教会、女子修道院、大聖堂、大学、司教区を建設した。インカ帝国古来の建築方法に、スペインの影響が融合した建造物であった。スペイン人は土着の寺院をカトリック教会に、宮殿を彼ら侵略者の住居に変え、キルケ構造のターワンティンスーユ (w:Tawantinsuyu) を伴うなど、クスコの建造物は重厚な文化が融合していた。インカ人がキルケ構造の上に建造物を建てたように、スペイン人はインカ人によって建てられた巨大な石の上に建造物を建てた。スペインの建物は、インカによって建設された巨大な石の壁の上に作られている。これらインカ時代の石積みは、石と石の間に「カミソリの刃一枚通さない」と言われる巧緻さである。また、周囲にはサクサイワマン遺跡やケンコー遺跡など、数多くの遺跡が点在する。 クスコはアンデス地域において、スペイン植民地とキリスト教布教の中心であった。農業、牧畜、鉱山やスペインとの貿易のおかげで、クスコはおおいに繁栄した。
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スペイン人による征服
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「メキシコの歴史」の記事における「スペイン人による征服」の解説
「スペインによるアメリカ大陸の植民地化」も参照 1519年にエルナン・コルテスを長とする約500人のスペイン人がメキシコ湾に到達し、トラスカラ王国を味方につけて首都テノチティトランまでやってきた。当初、皇帝モクテスマ2世はコルテスを歓迎してテノチティトランに住まわせた。1520年に先住民の反乱がおきると一時撤退するが、アステカ帝国に圧迫されていたトラスカラ王国の助けを得て反撃した。アステカ側ではクイトラワクが皇帝に立てられてモクテスマ2世は殺されたが、クイトラワクもスペイン人のもたらした天然痘によって若くして没した。モクテスマ2世のいとこの皇帝クアウテモックはコルテスらと戦ったが、首都から船で脱出しようとしたところをコルテス軍につかまり、1521年8月31日、アステカ帝国は滅亡した。
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